2024-1-29 19:58
アローラ客船殺人事件A(レサカ)
「…………。理由は?」
「そうだな、他の可能性を考えようか。まず事故の場合。船内に人を一瞬で黒焦げにするような発火物はないし、もし持ち込もうとしても、乗船時の荷物検査で間違いなくひっかかるだろう」
「ん、まぁね。じゃあ、自殺は?」
「まぁ、否定はできないが……死因がな。わざわざ貨物船の上で、一人焼死を選ぶというのは少々不可解だ。テロでも起こして、みな巻き添えにするならともかく……」
「……あんまり考えたくない」
何事かを想像したのか、影を落としたレッドの頭をゆるゆると撫で、
「あとは、船室の状況だな。あんなに黒焦げだったのに、室内はさほど焼けていない。おまけに、彼のいた場所の付近が濡れていた。自殺ならば、わざわざ水をかぶることはしないだろう。それに……荷物の謎もある」
「行方不明の荷物……。あの水音がそうかもしれないんだよね」
「ああ。消去法といえばその通りだが、この事件には人為的なものを感じる。少々の薄気味悪さもな。おそらく、ポケモンのちからも使われているだろう。さきほども言ったが、火薬やガソリンなどの発火性物質もなしに、人体発火はそうそう起こせない」
「……それは、経験上?」
「ふっ……」
その問いには答えず、万年筆をポケットにしまいなおす。
その仕草をぼうっと眺めていたレッドは、ソファの隣に座り、ぼそりと呟いた。
「あんた……警察、大丈夫なの」
気づかわし気な視線に、ふっと口角を上げる。
「PWTに出演できた身だ。……一般人にロケット団のボスとして顔出しはしていない。問題ない」
「そうだけど。……でも、昔、ラジオ塔占拠未遂の事件の時、さんざん放送で名前叫ばれてたよね」
懐かしい出来ごとに言及され、思わず目を細めた。
「まぁ、怪しまれてはいるだろうな、もちろん。だが、同名の人間など大勢いるし、これでも証拠はすべて隠滅してきた。現行犯でもないかぎり、奴らは逮捕できないだろうな」
お前が突き出すのなら別だが、と挑発的にレッドに視線を向ければ、むう、と頬を膨らませた姿がある。
「……悪い大人だ、あんた」
「そこらの普通の大人よりは、人生を楽しんでいるのは否めないな」
水差しからトクトクと冷えた水をコップに注ぎ、一息つく。
「……レッド。お前のリザードンだが」
「突然なに? リザードンなら今、寝てるけど」
急激に変わった話に、青年は首をかしげている。
「……疑われるかもしれないな」
無論、彼が無実であることはわかりきっている。なにせ二人そろって、ずっと傍にいたのだ。だが、死因がおそらく焼死で、かつ彼のリザードンは鍛え上げられていて火力も高い。真っ先に疑われる可能性がある。同室でともにいたと警察に伝えても、親しい間柄の発言はアリバイとして成立しない場合もあるのだ。
「……ぼく、殺してない」
「わかっている。……ハクタイシティの警察が有能なら、なんの心配もない」
言い聞かせるようにして、ぽん、と頭を軽く撫でる。
「だが、もし疑いをかけられても、冷静かつ、動揺せずにいるんだ。……いや、これはお前には言う必要はないかもしれないな」
レッドは、年齢に見合わぬほど冷静沈着で状況判断能力に長けている。共に過ごすと宣言したものの、やはりどこか子どもとして扱ってしまう部分は否めない。
「……心しとく」
それでも、レッドは心得たように慎重に頷いた。頑固な青年だが、忠告には素直に準ずる。こういう面があるから、やはり可愛らしいのだ。
「……あれ、ポケギアになにか来てる」
「? なんだ、緊急ニュースか何かか」
彼の腕についている端末が、チカチカと光っている。彼が何か操作をすれば、ラジオの音声が流れ始めた。
『……臨時ニュースです。本日未明に見つかった、男性及びポケモンの殺害事件の続報が入りました。殺害された方の身元が判明し、住宅に住む四十二歳の男性と、彼の手持ちのニョロゾが焼死体として発見されました。現場付近では、不審人物も目撃されており、警察では故意の放火事件として調査を進めています。みなさま、くれぐれもご注意ください……』
「……焼死体、って」
レッドが、それきり言葉を失って黙り込む。
「同一犯、か……? 突発的な殺人では、おそらくないな」
ぽつりと感想を述べれば、じっ、と鋭い瞳が向けられる。
「なんで、そう思うの」
「……素人犯罪にしては、方法があくどすぎる。この手のものは、正直あまり関わりたくない、が……」
「……が?」
「あまり理性的な犯人ではないかもしれない。強い恨み、もしくは猟奇的な思考の持ち主か……後者の場合、死者がさらに増えるかもしれない」
「っ、そんな」
くもるレッドの表情に、それ以上言葉を重ねることもできずに黙り込んだ。
「……犯人、だれなんだろう」
「さぁて、な……」
正直、探偵の真似事などしたこともない。過去、数々の事件にかかわっては来たが、どちらかといえば事件を起こす側で、解決に至らないように手を回すとか、そういう方に尽力していたものだ。
さすがに直接的に殺人事件に関わったことはないが、ああいった企業のトップを張っていたからには、後ろ暗いものの三つや四つ、いや、それ以上に背負うものはある。
「――おそれいります、サカキ様、レッド様」
ぼんやりと窓の外の空に視線を向けていれば、不意に扉がノックされる。
「ああ、なにか?」
扉を開ければ、正面にはあの船員が少々申し訳なさそうに立っていた。
「お休みのところ、申し訳ございません。乗客の中に警察の方がいらっしゃいまして、ハクタイシティに到着後の捜査を円滑にするために、かんたんに事情の確認をされたいということで……」
「……ああ、なるほど」
さきほど名乗っていた、ハンサムという男を思い出す。国際警察と名乗っていたあの男の実力は不明だが、まぁ、致し方ないことだろう。
「わかった。すぐに準備して向かおう」
「どうぞよろしくお願いします。甲板で、お待ちしております」
深く一礼して去った船員を見送った後、レッドに上着を投げてもらいながら、
「そういえば、レッド、彼とは顔見知りのようだったが」
「……ハンサムさんのこと?」
「ああ。関わったことがあるのか」
他意なくたずねたのだが、レッドは嫉妬でもしたと思ったのか、背中にぎゅっと抱き着いてきた。
「っ、おい、レッド」
「あんたを捜してるとき。……ぐうぜん、何度か会った。国際手配されてる犯罪者とかを追ってるんだって。……あんたを、捕まえたいっていっていた」
「……ほぉ?」
知らぬうちに、どこかで会っていたのだろうか。それにしても、レッドとニアミスしていたということは、かなり近くまで捜査されていたということだろう。国際警察とやらの捜査能力に少々驚く。
「なるほど。そうすると、今日会ってしまったのはかなりまずいな」
「……。あんた、証拠は残してないんでしょ」
「まぁ、そうだが。今後マークされると、いろいろ面倒だ」
今となっては悪事に手を染めてはいないものの、一度ついた印象というのはぬぐえまい。
「……まぁいい。あまり待たせて妙な勘ぐりをされると困る。行くとしよう」
表情をごまかせるよう、すっと馴染みの帽子に手を伸ばした。
「皆さま、お集り頂き、誠にありがとうございます」
甲板の中央で堂々と振る舞っているのは、かの国際警察の男である。
「船員の方からもご説明があったとは思いますが、ハクタイシティにつく前に、皆さまから一度、お話を伺いたいのです」
「それはかまわないけど、なにから話せばいいの?」
若い女性客が、戸惑うように首をかしげている。
「そうですね。まずは死体発見の直前からお話を伺っていきましょうか。……まずは、そうですね。そちらの第一発見者の方々から」
笑みを浮かべたままのハンサムの視線が、すっとこちらに移動した。口角に反して目は笑っておらず、こちらの一挙一動をじっとりと観察している。
「……わたしから、か?」
「ええ。お願いします。あと、自己紹介もね」
わざとらしい口述に内心ため息をつきつつ、腕を組む。
「……わたしはサカキ。となりにいる青年、レッドと共に、カントー地方から観光に来ていたんだ」
うわべだけの説明だが、決して嘘はついていない。
「……はじめ、まして」
傍らのレッドも、言葉少なに軽く頭を下げる。
「死体発見前……あれは、朝の八時くらいだったか。彼と共に、海風にでも当たろうと船室を出た」
「八時……か」
目前のハンサムが、頷きながら手帳に何やら記載していく。
「そして、船室前で海を眺めていたとき、とつぜん、大きな水の音がした」
「あ! それ、オレも聞いたやつだ」
水色の髪の少年が、いきおい良く手を挙げて同意する。
「ああ、かなりの音だったからな。……それで、音がしたのが反対側のようだったから、慌てて彼と二人で向かったんだ」
「重い……音だった。だから、最初は人か、ポケモンが落ちたのかと思って」
レッドも、どこか憂鬱そうな表情のまま頷いた。
「しかし、到着したときには、船室前にはだれもいなかった。下を覗いても、人影やポケモンは見当たらないし、なんだったんだろう、とレッドと共に困惑しているところ、そこの女性が部屋から出てきたんだ」
「ええ、なにか、バタバタと音が聞こえたから……」
茶髪の女性が不安そうな表情のまま呟く。
「その後すぐに、そこの少年と乗務員の方が現れたんだ。話を聞けば、あと二人乗客がいるということだったから、安全を確かめに我々が元いた反対側の船室側に向かったんだ。そこで君と、男性の死体を発見した、というわけだ」
「ふむ……なるほど」
ペンの進むスピードはよどみないまま、警官は顔を上げる。
「レッド君、君の方で補足はあるかい?」
「…………。いえ、大丈夫です」
少しばかり首をかしげて考えた後、レッドは静かに頷いた。
「わかった。じゃあ次、水の音を聞いたという、君から」
指名された少年は、大きな目をパチクリとしばたかせながら、
「オレ? オレはハクタイシティに住んでて、マリエシティの友だちん家から帰るんでこの船に乗ったんだ」
少年は、視線を上にさまよわせながら、ゆっくりと続けた。
「えぇと……さっきのオジサンが言ってたけど、だいたい八時くらいかなぁ。船の甲板のところで、ぼーっと海を眺めてたんだ。ほらここらへん、たまーにギャラドスがみられるってウワサがあったから」
「ああ、運が良ければ、確かにみられる場合がありますね」
船員さんが、納得したように頷いている。
「やっぱそうなんだ! っと……そんで、そん時にとつぜんドボン! ってでっかい水の音が聞こえて。最初はホエルオーでも近くで跳ねたんかな、ってあんまり気にしてなかったんだけど、それにしちゃ、ずいぶん近かったし。船員さんがバタバタって地下から上がってきたから、これは一大事だと思って、慌ててついていったんだよ。その後は、さっきそのオジサンが言ってた通り」
「ふむ、君は船首側の甲板にいたんだね。……だれか、あやしい人影とかを見なかったかい?」
核心をついた発言に、少年は一瞬面くらったように目を丸くした後、少々どきまぎしつつ答えた。
「えっと、いや、とくに……ボーっと海を眺めてたから、こっそり後ろを通られてたらわかんないけど……」
「そうか、ありがとう。ええと、君と船員さんは、船首側から水音のした方に回ったんだね。あなた方は逆側から?」
すい、と再び視線がこちらに向く。その鋭いまなこを口角ひとつで受け止めて、
「ああ、そうだ。船尾側から回ったんだ。私たちの部屋は後ろの方だから」
「……なるほど」
とても納得していない口ぶりで相槌をうった後、彼の視線は残る女性の方へ向く。
「それでは、お嬢さん。お話をうかがっても?」
「え、ええ……あたしも旅人よ。小さかったころに出来なかったしまめぐりを、せっかくだからしてみようと思って……それで」
いったん、ふっと視線を足元に落とした後、
「朝の八時っていえば、自分の部屋で眠っていたわ。彼らの言っている水の音には、寝てたせいかハッキリとは気づかなかったけど。それで、そのままうとうととしてた時、外がなにか騒がしいことにびっくりして思わず扉を開けたら、彼ら二人がいたの。あとは、合流してそのまま一緒よ」
「ふむ、ありがとうございます。ちなみに、合流した後は、部屋のカギは閉めましたか?」
ハンサムが、不意に妙なことを女性に尋ねた。
「えっ? ……あの時はバタバタしてたし、閉めてなかったと思うけど」
「ふむ……空き部屋などに犯人が忍び込んだりする場合があるのですよ。ただ、今回の場合は船員、客ともに被害者発見時にいた場所はハッキリしていますし、大丈夫だと思いますが」
「しっ、忍び込む!?」
女性が、思わずといった仕草で後ずさる。ただでさえ不安なところ、そんなことを言われれば青くもなるだろう。
「いえ、失敬。余分なことを申しました。……あとは、船員さん。あなたのお話を伺いたいのですが」
警官の視線が最後に向いたのは、甲板の隅で恐縮したように身体を縮こませる乗務員だ。
「ハ、ハイ。私は主に食事や掃除などの雑務を担当していまして、八時ごろには船内部の食堂で他の船員とともに朝食の準備をしておりました。天気がよかったので、窓を開けて潮風をいれながら、テーブルに食器の配膳をしていたところ、例の大きな水音を耳にしまして。朝食の準備を他の船員に任せ、船首側の甲板でそちらの少年のお客様と合流して、音のしたほうに向かったのです」
「なるほど。ほかの船員の皆さんは皆そこにいたのですか?」
「ええ、船長以外は……しかし、船長は操舵室で舵を見ていましたし、食堂を通らないで甲板に上がることはできません」
「そう、か……」
腕を組んで、ため息をもらしたハンサムに、おずおずと船員は続けた。
「あと……これは大変申し上げにくいのですが」
「ん? なんでしょう、どうぞ」
ハンサムが訝し気な表情を浮かべ、先を促す。
「……その。先だって、お客様の人数は六名と申し上げたと思うのですが」
船員が言った通り、確かに六人だと聞いたはずだ。ここにいる人数も五名だし、亡くなったのが一名でちょうどだ。しゅん、と身体を縮こませる船員に、みなの注目が集まる。
「じ、実は一名……不法で乗船した者がいる可能性がありまして」
「なっ……なんてことだ!」
「えっ……嘘だろっ!?」
身体をのけぞらせる警官に、叫ぶ少年。女性も不安げなまなざしで船員を見つめている。
「み、皆様にお知らせをすると混乱を招いてしまうと、船員のみで調査にあたっていたのですが……こんな事態になってしまいましたし、舵で手を離せない船長に代わって、私がお伝えするようにと」
「う、うそ。じゃあ、あのおじいさんを殺したのも……?!」
女性が、両手で口を抑えてぶるぶると震えている。
「不法侵入者か……」
思わぬ情報に、肺の中から押し出されるように息が漏れる。
「それについては、私が詳しく伺うことにしましょう。皆さまはお部屋にお戻りに……っと、そうだ、忘れていました」
解散の雰囲気から、ハッとハンサムが居直った。
「皆様のポケモンを見せていただけないでしょうか」
「……ポケモンを?」
少年が、こてん、と首をかしげる。
「ええ、順番に。モンスターボールを見せて頂ければそれで」
ぎらり、と穏やかな視線の中に光る鋭い光。
「な……なによ。あたしたちを疑ってるってわけ!?」
女性が激高するように声を荒げた。
「まあまあ。彼も仕事だから、仕方ないことだ。……誰から見せる?」
ぽん、と軽く女性の肩を叩き、すっと視線を受け止める。挑戦的なその警官の目ににやりと笑った自分が映る。
「じゃ! オレからいくよー」
そこに、のんびりとした声が割り入った。
「えっと、オレのポケモンは、友だちと交換したハンテールと、フォッコ、ケケンカニ、ミミッキュ、ヌイコグマだよっ」
少年が、腰に結わえ付けているモンスターボールを両手に掴みながらニコニコと笑った。
「あ、あたしは、ケイコウオ、シビルドン、ヒドイデ、キャモメが二匹……あ、キャモメは今放してて、あの辺りを飛んでるわ」
モンスターボールをころん、と取り出して、空いているボールは片手で空を指しながら言う。その方向を見ると、確かにキャモメが数羽、船に寄り添うように飛んでいる。
「あ、えっと。私はホエルコと、エネコだけです」
船員さんが、少々恥ずかしそうにモンスターボールを差し出した。
「なるほど。それじゃあ、そちらは?」
三人の紹介が終わり、皆がいっせいにこちらを向く。
「……私は、じめんタイプ使いでね。ニドキング、ニドクイン、ゴローニャ、ダグトリオ、ガルーラ、ニャースだ」
さらりと告げるも、ハンサムの視線の鋭さは増していくばかりだ。
「じめんタイプ、か。なかなか強力なメンツだな」
「……誉め言葉、と受け取っておこう」
腕を組んで一歩下がり、レッドを促す。
「……ぼくは、ピカチュウ、フシギバナ、カメックス、カビゴン、ラプラス……リザードン」
ぼそ、と最後に告げられたほのおポケモンの名前に、ピリ、と緊張が走ったのがわかった。
「そうか、レッドくんはリザードンを持っているんだね」
「……はい」
「失礼だが、見せてもらっても?」
ハンサムが、彼のモンスターボールを受け取り、じっと中のリザードンを観察している。
「ありがとう、もうだいじょうぶだ」
す、とそのままボールを返し、ハンサムは皆をぐるっと見回して言った。
「みなさま、ご協力ありがとうございました。どうぞ、お部屋のほうへお戻りください。……船員さんは、少々お話があるのでこちらへ」
あっけなく解散を告げられ、ゾロゾロと皆、自室へと帰っていく。カンカン、と甲板を下り、船首が見えなくなったところで、
「……サカキ?」
部屋へ向かうレッドの反対に進む姿を見とがめられる。
「少々、そのあたりを散歩してから戻る」
「……いいけど。気をつけてね」
「はは。誰に言っているんだ?」
軽口を交わし、レッドが部屋に入るのを確認してから、そっとモンスターボールを開く。ちょこん、と現れたニャースに、
「……後ろはまかせたぞ」
小さく同意の鳴き声を上げたニャースの頭をひと撫でし、ゆっくりとした仕草で船室の前を歩く。
狭い、貨物船がメインの船だ。収容可能人数も少なく、宿泊用といっても小さなものだ。
こちら側の船室は五つ。そのうち、一番端から自分たちの部屋、次が空室、ハンサムの部屋、空室、被害者の部屋、となる。
コツン、と靴がなるままに、反対側の船室側に出た。こちらは端から空室、少年の部屋、空室、女性の部屋、空室だ。通路をぐるりと見渡すも、不審なものはない。海側の手すりの方も――。
「……ん?」
かすかに感じた違和感のまま、手すりに近寄る。
すっとしゃがみこみ、まじまじとその部分をよく見ると、ひざくらいの高さのところに、僅かに塗装の剥がれた痕が見える。そう、よくよく見れば、指の形に見えるような――。
「…………」
周囲の手すりはキレイなもので、潮風による劣化は見られるものの、特に気になるところはない。
「こんなところ、か……」
そのまま、再び自分の船室側の通路へと戻る。ニャースがトテトテと後をついてくるのを見つつ、自室を素通りして一番端、現場の前へと足を進めた。
「……さて」
謎をとくカギはこの部屋の中だろうが、さすがに許可なく入るのは現場保管の意味からしてもまずい。
それに、そもそもハンサムがカギをかけているだろうし、残念だが諦めて帰るか、とニャースを抱き上げた瞬間、彼のまん丸い目がカッと見開かれた。
「フッ……捜査は順調か、警察の方」
「そちらこそ。犯人は現場に戻る……というが、貴様もそのクチか?」
ニャースを抱えたまま、くるりと振り返る。
「……現場の状況から、わたしが犯人たりえないことなど、わかっているだろう?」
揶揄するように声を掛ければ、目前のハンサムはぐっと渋い表情で目をそらした。
「じめん使いの貴様が、人間を焼死させられるとは思っていない。……だが、連れの彼ならば」
「レッドがやった、と? ……あいつとは知りあいなんだろう。彼がそんなことをやると思うか」
期せず語気が荒くなれば、物珍しいものを見るような視線がこちらに刺さる。
「たしかに、彼はいい青年だ。しかし……それを、サカキ、お前が言うとは」
「…………。中に入って捜査を始めるんだろう。さっさと入れ」
「命令されんでも」
ごろごろと喉を鳴らすニャースをそのままに、目前の男を急かせば、ぶつくさと文句を言いながらもカギを開けた。
「あとは、船室の状況だな。あんなに黒焦げだったのに、室内はさほど焼けていない。おまけに、彼のいた場所の付近が濡れていた。自殺ならば、わざわざ水をかぶることはしないだろう。それに……荷物の謎もある」
「行方不明の荷物……。あの水音がそうかもしれないんだよね」
「ああ。消去法といえばその通りだが、この事件には人為的なものを感じる。少々の薄気味悪さもな。おそらく、ポケモンのちからも使われているだろう。さきほども言ったが、火薬やガソリンなどの発火性物質もなしに、人体発火はそうそう起こせない」
「……それは、経験上?」
「ふっ……」
その問いには答えず、万年筆をポケットにしまいなおす。
その仕草をぼうっと眺めていたレッドは、ソファの隣に座り、ぼそりと呟いた。
「あんた……警察、大丈夫なの」
気づかわし気な視線に、ふっと口角を上げる。
「PWTに出演できた身だ。……一般人にロケット団のボスとして顔出しはしていない。問題ない」
「そうだけど。……でも、昔、ラジオ塔占拠未遂の事件の時、さんざん放送で名前叫ばれてたよね」
懐かしい出来ごとに言及され、思わず目を細めた。
「まぁ、怪しまれてはいるだろうな、もちろん。だが、同名の人間など大勢いるし、これでも証拠はすべて隠滅してきた。現行犯でもないかぎり、奴らは逮捕できないだろうな」
お前が突き出すのなら別だが、と挑発的にレッドに視線を向ければ、むう、と頬を膨らませた姿がある。
「……悪い大人だ、あんた」
「そこらの普通の大人よりは、人生を楽しんでいるのは否めないな」
水差しからトクトクと冷えた水をコップに注ぎ、一息つく。
「……レッド。お前のリザードンだが」
「突然なに? リザードンなら今、寝てるけど」
急激に変わった話に、青年は首をかしげている。
「……疑われるかもしれないな」
無論、彼が無実であることはわかりきっている。なにせ二人そろって、ずっと傍にいたのだ。だが、死因がおそらく焼死で、かつ彼のリザードンは鍛え上げられていて火力も高い。真っ先に疑われる可能性がある。同室でともにいたと警察に伝えても、親しい間柄の発言はアリバイとして成立しない場合もあるのだ。
「……ぼく、殺してない」
「わかっている。……ハクタイシティの警察が有能なら、なんの心配もない」
言い聞かせるようにして、ぽん、と頭を軽く撫でる。
「だが、もし疑いをかけられても、冷静かつ、動揺せずにいるんだ。……いや、これはお前には言う必要はないかもしれないな」
レッドは、年齢に見合わぬほど冷静沈着で状況判断能力に長けている。共に過ごすと宣言したものの、やはりどこか子どもとして扱ってしまう部分は否めない。
「……心しとく」
それでも、レッドは心得たように慎重に頷いた。頑固な青年だが、忠告には素直に準ずる。こういう面があるから、やはり可愛らしいのだ。
「……あれ、ポケギアになにか来てる」
「? なんだ、緊急ニュースか何かか」
彼の腕についている端末が、チカチカと光っている。彼が何か操作をすれば、ラジオの音声が流れ始めた。
『……臨時ニュースです。本日未明に見つかった、男性及びポケモンの殺害事件の続報が入りました。殺害された方の身元が判明し、住宅に住む四十二歳の男性と、彼の手持ちのニョロゾが焼死体として発見されました。現場付近では、不審人物も目撃されており、警察では故意の放火事件として調査を進めています。みなさま、くれぐれもご注意ください……』
「……焼死体、って」
レッドが、それきり言葉を失って黙り込む。
「同一犯、か……? 突発的な殺人では、おそらくないな」
ぽつりと感想を述べれば、じっ、と鋭い瞳が向けられる。
「なんで、そう思うの」
「……素人犯罪にしては、方法があくどすぎる。この手のものは、正直あまり関わりたくない、が……」
「……が?」
「あまり理性的な犯人ではないかもしれない。強い恨み、もしくは猟奇的な思考の持ち主か……後者の場合、死者がさらに増えるかもしれない」
「っ、そんな」
くもるレッドの表情に、それ以上言葉を重ねることもできずに黙り込んだ。
「……犯人、だれなんだろう」
「さぁて、な……」
正直、探偵の真似事などしたこともない。過去、数々の事件にかかわっては来たが、どちらかといえば事件を起こす側で、解決に至らないように手を回すとか、そういう方に尽力していたものだ。
さすがに直接的に殺人事件に関わったことはないが、ああいった企業のトップを張っていたからには、後ろ暗いものの三つや四つ、いや、それ以上に背負うものはある。
「――おそれいります、サカキ様、レッド様」
ぼんやりと窓の外の空に視線を向けていれば、不意に扉がノックされる。
「ああ、なにか?」
扉を開ければ、正面にはあの船員が少々申し訳なさそうに立っていた。
「お休みのところ、申し訳ございません。乗客の中に警察の方がいらっしゃいまして、ハクタイシティに到着後の捜査を円滑にするために、かんたんに事情の確認をされたいということで……」
「……ああ、なるほど」
さきほど名乗っていた、ハンサムという男を思い出す。国際警察と名乗っていたあの男の実力は不明だが、まぁ、致し方ないことだろう。
「わかった。すぐに準備して向かおう」
「どうぞよろしくお願いします。甲板で、お待ちしております」
深く一礼して去った船員を見送った後、レッドに上着を投げてもらいながら、
「そういえば、レッド、彼とは顔見知りのようだったが」
「……ハンサムさんのこと?」
「ああ。関わったことがあるのか」
他意なくたずねたのだが、レッドは嫉妬でもしたと思ったのか、背中にぎゅっと抱き着いてきた。
「っ、おい、レッド」
「あんたを捜してるとき。……ぐうぜん、何度か会った。国際手配されてる犯罪者とかを追ってるんだって。……あんたを、捕まえたいっていっていた」
「……ほぉ?」
知らぬうちに、どこかで会っていたのだろうか。それにしても、レッドとニアミスしていたということは、かなり近くまで捜査されていたということだろう。国際警察とやらの捜査能力に少々驚く。
「なるほど。そうすると、今日会ってしまったのはかなりまずいな」
「……。あんた、証拠は残してないんでしょ」
「まぁ、そうだが。今後マークされると、いろいろ面倒だ」
今となっては悪事に手を染めてはいないものの、一度ついた印象というのはぬぐえまい。
「……まぁいい。あまり待たせて妙な勘ぐりをされると困る。行くとしよう」
表情をごまかせるよう、すっと馴染みの帽子に手を伸ばした。
「皆さま、お集り頂き、誠にありがとうございます」
甲板の中央で堂々と振る舞っているのは、かの国際警察の男である。
「船員の方からもご説明があったとは思いますが、ハクタイシティにつく前に、皆さまから一度、お話を伺いたいのです」
「それはかまわないけど、なにから話せばいいの?」
若い女性客が、戸惑うように首をかしげている。
「そうですね。まずは死体発見の直前からお話を伺っていきましょうか。……まずは、そうですね。そちらの第一発見者の方々から」
笑みを浮かべたままのハンサムの視線が、すっとこちらに移動した。口角に反して目は笑っておらず、こちらの一挙一動をじっとりと観察している。
「……わたしから、か?」
「ええ。お願いします。あと、自己紹介もね」
わざとらしい口述に内心ため息をつきつつ、腕を組む。
「……わたしはサカキ。となりにいる青年、レッドと共に、カントー地方から観光に来ていたんだ」
うわべだけの説明だが、決して嘘はついていない。
「……はじめ、まして」
傍らのレッドも、言葉少なに軽く頭を下げる。
「死体発見前……あれは、朝の八時くらいだったか。彼と共に、海風にでも当たろうと船室を出た」
「八時……か」
目前のハンサムが、頷きながら手帳に何やら記載していく。
「そして、船室前で海を眺めていたとき、とつぜん、大きな水の音がした」
「あ! それ、オレも聞いたやつだ」
水色の髪の少年が、いきおい良く手を挙げて同意する。
「ああ、かなりの音だったからな。……それで、音がしたのが反対側のようだったから、慌てて彼と二人で向かったんだ」
「重い……音だった。だから、最初は人か、ポケモンが落ちたのかと思って」
レッドも、どこか憂鬱そうな表情のまま頷いた。
「しかし、到着したときには、船室前にはだれもいなかった。下を覗いても、人影やポケモンは見当たらないし、なんだったんだろう、とレッドと共に困惑しているところ、そこの女性が部屋から出てきたんだ」
「ええ、なにか、バタバタと音が聞こえたから……」
茶髪の女性が不安そうな表情のまま呟く。
「その後すぐに、そこの少年と乗務員の方が現れたんだ。話を聞けば、あと二人乗客がいるということだったから、安全を確かめに我々が元いた反対側の船室側に向かったんだ。そこで君と、男性の死体を発見した、というわけだ」
「ふむ……なるほど」
ペンの進むスピードはよどみないまま、警官は顔を上げる。
「レッド君、君の方で補足はあるかい?」
「…………。いえ、大丈夫です」
少しばかり首をかしげて考えた後、レッドは静かに頷いた。
「わかった。じゃあ次、水の音を聞いたという、君から」
指名された少年は、大きな目をパチクリとしばたかせながら、
「オレ? オレはハクタイシティに住んでて、マリエシティの友だちん家から帰るんでこの船に乗ったんだ」
少年は、視線を上にさまよわせながら、ゆっくりと続けた。
「えぇと……さっきのオジサンが言ってたけど、だいたい八時くらいかなぁ。船の甲板のところで、ぼーっと海を眺めてたんだ。ほらここらへん、たまーにギャラドスがみられるってウワサがあったから」
「ああ、運が良ければ、確かにみられる場合がありますね」
船員さんが、納得したように頷いている。
「やっぱそうなんだ! っと……そんで、そん時にとつぜんドボン! ってでっかい水の音が聞こえて。最初はホエルオーでも近くで跳ねたんかな、ってあんまり気にしてなかったんだけど、それにしちゃ、ずいぶん近かったし。船員さんがバタバタって地下から上がってきたから、これは一大事だと思って、慌ててついていったんだよ。その後は、さっきそのオジサンが言ってた通り」
「ふむ、君は船首側の甲板にいたんだね。……だれか、あやしい人影とかを見なかったかい?」
核心をついた発言に、少年は一瞬面くらったように目を丸くした後、少々どきまぎしつつ答えた。
「えっと、いや、とくに……ボーっと海を眺めてたから、こっそり後ろを通られてたらわかんないけど……」
「そうか、ありがとう。ええと、君と船員さんは、船首側から水音のした方に回ったんだね。あなた方は逆側から?」
すい、と再び視線がこちらに向く。その鋭いまなこを口角ひとつで受け止めて、
「ああ、そうだ。船尾側から回ったんだ。私たちの部屋は後ろの方だから」
「……なるほど」
とても納得していない口ぶりで相槌をうった後、彼の視線は残る女性の方へ向く。
「それでは、お嬢さん。お話をうかがっても?」
「え、ええ……あたしも旅人よ。小さかったころに出来なかったしまめぐりを、せっかくだからしてみようと思って……それで」
いったん、ふっと視線を足元に落とした後、
「朝の八時っていえば、自分の部屋で眠っていたわ。彼らの言っている水の音には、寝てたせいかハッキリとは気づかなかったけど。それで、そのままうとうととしてた時、外がなにか騒がしいことにびっくりして思わず扉を開けたら、彼ら二人がいたの。あとは、合流してそのまま一緒よ」
「ふむ、ありがとうございます。ちなみに、合流した後は、部屋のカギは閉めましたか?」
ハンサムが、不意に妙なことを女性に尋ねた。
「えっ? ……あの時はバタバタしてたし、閉めてなかったと思うけど」
「ふむ……空き部屋などに犯人が忍び込んだりする場合があるのですよ。ただ、今回の場合は船員、客ともに被害者発見時にいた場所はハッキリしていますし、大丈夫だと思いますが」
「しっ、忍び込む!?」
女性が、思わずといった仕草で後ずさる。ただでさえ不安なところ、そんなことを言われれば青くもなるだろう。
「いえ、失敬。余分なことを申しました。……あとは、船員さん。あなたのお話を伺いたいのですが」
警官の視線が最後に向いたのは、甲板の隅で恐縮したように身体を縮こませる乗務員だ。
「ハ、ハイ。私は主に食事や掃除などの雑務を担当していまして、八時ごろには船内部の食堂で他の船員とともに朝食の準備をしておりました。天気がよかったので、窓を開けて潮風をいれながら、テーブルに食器の配膳をしていたところ、例の大きな水音を耳にしまして。朝食の準備を他の船員に任せ、船首側の甲板でそちらの少年のお客様と合流して、音のしたほうに向かったのです」
「なるほど。ほかの船員の皆さんは皆そこにいたのですか?」
「ええ、船長以外は……しかし、船長は操舵室で舵を見ていましたし、食堂を通らないで甲板に上がることはできません」
「そう、か……」
腕を組んで、ため息をもらしたハンサムに、おずおずと船員は続けた。
「あと……これは大変申し上げにくいのですが」
「ん? なんでしょう、どうぞ」
ハンサムが訝し気な表情を浮かべ、先を促す。
「……その。先だって、お客様の人数は六名と申し上げたと思うのですが」
船員が言った通り、確かに六人だと聞いたはずだ。ここにいる人数も五名だし、亡くなったのが一名でちょうどだ。しゅん、と身体を縮こませる船員に、みなの注目が集まる。
「じ、実は一名……不法で乗船した者がいる可能性がありまして」
「なっ……なんてことだ!」
「えっ……嘘だろっ!?」
身体をのけぞらせる警官に、叫ぶ少年。女性も不安げなまなざしで船員を見つめている。
「み、皆様にお知らせをすると混乱を招いてしまうと、船員のみで調査にあたっていたのですが……こんな事態になってしまいましたし、舵で手を離せない船長に代わって、私がお伝えするようにと」
「う、うそ。じゃあ、あのおじいさんを殺したのも……?!」
女性が、両手で口を抑えてぶるぶると震えている。
「不法侵入者か……」
思わぬ情報に、肺の中から押し出されるように息が漏れる。
「それについては、私が詳しく伺うことにしましょう。皆さまはお部屋にお戻りに……っと、そうだ、忘れていました」
解散の雰囲気から、ハッとハンサムが居直った。
「皆様のポケモンを見せていただけないでしょうか」
「……ポケモンを?」
少年が、こてん、と首をかしげる。
「ええ、順番に。モンスターボールを見せて頂ければそれで」
ぎらり、と穏やかな視線の中に光る鋭い光。
「な……なによ。あたしたちを疑ってるってわけ!?」
女性が激高するように声を荒げた。
「まあまあ。彼も仕事だから、仕方ないことだ。……誰から見せる?」
ぽん、と軽く女性の肩を叩き、すっと視線を受け止める。挑戦的なその警官の目ににやりと笑った自分が映る。
「じゃ! オレからいくよー」
そこに、のんびりとした声が割り入った。
「えっと、オレのポケモンは、友だちと交換したハンテールと、フォッコ、ケケンカニ、ミミッキュ、ヌイコグマだよっ」
少年が、腰に結わえ付けているモンスターボールを両手に掴みながらニコニコと笑った。
「あ、あたしは、ケイコウオ、シビルドン、ヒドイデ、キャモメが二匹……あ、キャモメは今放してて、あの辺りを飛んでるわ」
モンスターボールをころん、と取り出して、空いているボールは片手で空を指しながら言う。その方向を見ると、確かにキャモメが数羽、船に寄り添うように飛んでいる。
「あ、えっと。私はホエルコと、エネコだけです」
船員さんが、少々恥ずかしそうにモンスターボールを差し出した。
「なるほど。それじゃあ、そちらは?」
三人の紹介が終わり、皆がいっせいにこちらを向く。
「……私は、じめんタイプ使いでね。ニドキング、ニドクイン、ゴローニャ、ダグトリオ、ガルーラ、ニャースだ」
さらりと告げるも、ハンサムの視線の鋭さは増していくばかりだ。
「じめんタイプ、か。なかなか強力なメンツだな」
「……誉め言葉、と受け取っておこう」
腕を組んで一歩下がり、レッドを促す。
「……ぼくは、ピカチュウ、フシギバナ、カメックス、カビゴン、ラプラス……リザードン」
ぼそ、と最後に告げられたほのおポケモンの名前に、ピリ、と緊張が走ったのがわかった。
「そうか、レッドくんはリザードンを持っているんだね」
「……はい」
「失礼だが、見せてもらっても?」
ハンサムが、彼のモンスターボールを受け取り、じっと中のリザードンを観察している。
「ありがとう、もうだいじょうぶだ」
す、とそのままボールを返し、ハンサムは皆をぐるっと見回して言った。
「みなさま、ご協力ありがとうございました。どうぞ、お部屋のほうへお戻りください。……船員さんは、少々お話があるのでこちらへ」
あっけなく解散を告げられ、ゾロゾロと皆、自室へと帰っていく。カンカン、と甲板を下り、船首が見えなくなったところで、
「……サカキ?」
部屋へ向かうレッドの反対に進む姿を見とがめられる。
「少々、そのあたりを散歩してから戻る」
「……いいけど。気をつけてね」
「はは。誰に言っているんだ?」
軽口を交わし、レッドが部屋に入るのを確認してから、そっとモンスターボールを開く。ちょこん、と現れたニャースに、
「……後ろはまかせたぞ」
小さく同意の鳴き声を上げたニャースの頭をひと撫でし、ゆっくりとした仕草で船室の前を歩く。
狭い、貨物船がメインの船だ。収容可能人数も少なく、宿泊用といっても小さなものだ。
こちら側の船室は五つ。そのうち、一番端から自分たちの部屋、次が空室、ハンサムの部屋、空室、被害者の部屋、となる。
コツン、と靴がなるままに、反対側の船室側に出た。こちらは端から空室、少年の部屋、空室、女性の部屋、空室だ。通路をぐるりと見渡すも、不審なものはない。海側の手すりの方も――。
「……ん?」
かすかに感じた違和感のまま、手すりに近寄る。
すっとしゃがみこみ、まじまじとその部分をよく見ると、ひざくらいの高さのところに、僅かに塗装の剥がれた痕が見える。そう、よくよく見れば、指の形に見えるような――。
「…………」
周囲の手すりはキレイなもので、潮風による劣化は見られるものの、特に気になるところはない。
「こんなところ、か……」
そのまま、再び自分の船室側の通路へと戻る。ニャースがトテトテと後をついてくるのを見つつ、自室を素通りして一番端、現場の前へと足を進めた。
「……さて」
謎をとくカギはこの部屋の中だろうが、さすがに許可なく入るのは現場保管の意味からしてもまずい。
それに、そもそもハンサムがカギをかけているだろうし、残念だが諦めて帰るか、とニャースを抱き上げた瞬間、彼のまん丸い目がカッと見開かれた。
「フッ……捜査は順調か、警察の方」
「そちらこそ。犯人は現場に戻る……というが、貴様もそのクチか?」
ニャースを抱えたまま、くるりと振り返る。
「……現場の状況から、わたしが犯人たりえないことなど、わかっているだろう?」
揶揄するように声を掛ければ、目前のハンサムはぐっと渋い表情で目をそらした。
「じめん使いの貴様が、人間を焼死させられるとは思っていない。……だが、連れの彼ならば」
「レッドがやった、と? ……あいつとは知りあいなんだろう。彼がそんなことをやると思うか」
期せず語気が荒くなれば、物珍しいものを見るような視線がこちらに刺さる。
「たしかに、彼はいい青年だ。しかし……それを、サカキ、お前が言うとは」
「…………。中に入って捜査を始めるんだろう。さっさと入れ」
「命令されんでも」
ごろごろと喉を鳴らすニャースをそのままに、目前の男を急かせば、ぶつくさと文句を言いながらもカギを開けた。
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