ここ数日、宿泊しているホテルの一室だ。目覚めて早々、鼻腔をくすぐる香ばしい薫り。
灰色のカーテンから漏れだす朝の光と相まって、覚醒をそっと後押しされる。
「……コーヒー、好きだよね」
湯気のわき立つ黒い液体を落とすうしろ姿に、ふと問いかけた。
この男が口にする飲み物はたいていコレで、紅茶だの緑茶だのをたしなむところはほとんど見たことがない。彼の黒いスーツとそれは妙に似合っていて、違和感はないのだけれど。
閉店間際のブックカフェ。店内を歩く人の数も、もはや数えるほどしか見当たらない。店員がせわしなく片づけを始めたころになってようやく、男は静かに本を閉じた。
「……終わった?」
隣席でその姿を見つめていた自分に対し、彼はゆっくりと頷いた。
「ああ。……先に店の外へ出ていてもよかったんだぞ」
「べつに。……待つのは、きらいじゃないから」
メガネをかけた見慣れない横顔を眺めているのは、思いの外楽しい時間だった。こちらの前に置かれたポケモンバトル講座の書籍を一べつして、彼はポン、と頭をなでてきた。
「生活感のない部屋でしょう?」
がらんどうの部屋の中央で、彼はフッと笑ってみせた。
ローズ元委員長が、仮釈放された。
多額の保証金が支払われたというニュースは全方面にかけ巡り、マクロコスモス社や旧ローズタワーには記者が殺到したという。
関係者はすべて知らぬ存ぜぬで通し、出入り口は完全にシャットアウト。その混乱っぷりは、連日テレビでも生中継されていた。