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誰も知らない彼女の話

(−2)




弦一郎に、彼女が出来た。
な、何をいってるかわからねーかも、以下略。


買い物帰りたまたま目撃したのだが、弦一郎が、あの弦一郎がである、物凄く可愛い女の子と歩いていたのだ。
私は素早く身を翻し、電柱の影へと隠れた。
女の子は背が低く、今時珍しいおかっぱ頭で、和風少女と言った趣である。
格好が少しボーイッシュなのが残念だが、そんなギャップすら味方に付けてしまうのだから恐ろしいことこの上無い。


デート行くのに、わざわざテニスだなんて嘘つかなくても良いのにね。
仲睦まじく喋りながら通り過ぎていった弦一郎へ水臭いヤツだと軽く毒づきながら、買い物篭を持ち直す。
さっそく赤飯を炊かなければなるまい。

そう考えて、はたと立ち止まる。


弦一郎に彼女ができれば、許嫁は無用になる。
婚約を解消したからといって放り出されるわけではないだろうが、真田の家に居づらくなるのは必至。
元・許嫁の私が一緒だと弦一郎だって気まずいだろうし、彼女さんだっていい気はしないだろう。

まあ、いざとなったら隠居したお祖父様の所で中学卒業までお世話になろうと自己完結し、お赤飯の材料を思い浮かべた。



「…何か祝い事か?」
「本当に水臭いよ弦一郎。教えてくれたって良いのにさ」


食卓に並ぶ赤いご飯に怪訝そうな表情を向け、弦一郎は腕を組んだまま首をかしげた。
着席を促し、頂きますと手を合わせる。
お義母さん達は残業なので、晩御飯は二人だけだ。


「水臭いとはどういう事だ、俺は何も隠してはおらんぞ」
「とぼけなくていいよ、弦一郎、彼女出来たんでしょ?」
「…俺の許嫁はお前だが」
「許嫁じゃなくて、恋人!」


ぽかんとした弦一郎は、次の瞬間みるみる赤くなると食卓を平手で叩き、たわけが、と私を一喝した。
箸を握る拳がプルプルしているので、怒っているようだ。
げせぬ。


「お前は俺が…将来を誓った許嫁が居る、この真田弦一郎ともあろう者が!!他の女にうつつを抜かすような尻の軽い多情者だとでも言いたいのか!」
「えーと…、」


弦一郎の喋り言葉は時々古風すぎて良くわからない時があるが、要するに彼女はいないって訳でいいんだろうか。
ぎぎぎ、と沸騰する弦一郎を宥めながら、それじゃああれは誰なんだと首を捻る。
女友達かな。
だとしたら是非紹介してほしい。
ガールズトークとかしてみたい。


「ごめんね弦一郎、私の勘違いだった。今日一緒に歩いてた子と仲が良さそうだったからつい…」
「俺はお前以外の女を妻にするつもりなど微塵も無い!!」
「うん、解ってる、ごめんなさい。私も弦一郎以外の人と結婚したくないです」
「む、…なら、いい。許してやる」


怒りを治めた弦一郎に胸を撫で下ろし、ご飯を口にする。
…と言うか、今から彼女=妻な弦一郎の思考回路が怖い。
中学一年生から一夫一妻をひた走る弦一郎は、浮気とか不倫とかとは無縁そうだ。
そこで重大な事実にぶち当たった。
弦一郎が好きな子を作らない限り、私も彼氏が作れない。
なんてこった。


もちもちと赤飯を頬張りながらさっきの子は結局誰なのかと聞いた私に、弦一郎はヤナギレンジだと答えた。
ヤナギレンジ、変わった名前だなぁ。
レン、は蓮だろうか、恋だろうか。
ジってなんだろう、次かな、慈かな。
でも、なんだか男の子みたいな名前、


「男子テニス部に属する俺の部活仲間だが」
「ぶっ!?」
「だっ、大丈夫か!?」


気管に流れたなめこの味噌汁の所為で、ごほごほと噎せる私の背中を弦一郎が擦る。
肩で息をしながら尋ね返しても答えは同じだった。

あの子男の子か!!



【彼女の知らない誰かの話】


「どうした、ぼーっとして」
「んー…弦一郎の周りには綺麗所の美人が集まるなー、と」
「新手の自画自賛か?」
「いや、私以外」
「お前は少し自分を下に見すぎている。しかし…男が綺麗やら美人やらと言われても嬉しくはないな」
「そうなの?」
「弦一郎も喜ばないだろう」
「弦一郎は…精悍とか男らしいとか逞しいとかかな…。柳くんは美人。美人が駄目なら、凛々しくて涼しげで格好良くて素敵、とか?んー…、でも二人とも美しいって形容詞が凄く似合うよ。美しい男の人って感じ………柳くん?」
「…あまり煽らないでくれないか」



(綺麗すぎて女の子に間違えたんて言えません)

誰も知らない彼女の話



そろそろ寝ようかと布団を敷いた途端、携帯が鳴った。
ワンコールで切れてしまった呼び出し音に画面を開き、私は財布を引っ付かんで家を出た。

なるべく明るいところを全速力で走り、バスに乗る。
程無くして到着した目的地の病院は、時間が時間であるためか周囲に人影がない。
緊急搬送用の出入り口から漏れる光と街灯を頼りに、裏口の鉄格子をゆっくりと開いた。


こつこつと窓ガラスを指先で叩けば、勢いよく開かれたカーテンの向こうで、パジャマ姿の幸村くんが口をあんぐりと開け私を見ていた。


「来ちゃった」
「来ちゃった、って…そんな、軽く…」
「えっと、電話くれたよね」
「…どうして俺だって判ったの?公衆電話だったのに」
「なんとなく。入院中って、夜とかなんか心細くなるから」


よっこらせ、と窓枠を越えて病室へ侵入する。
幸村くんの頬は、赤みを帯びて少し腫れているようだった。


「よく、入ってこられたね」


そんなところから、と苦笑する幸村くんにへらりと笑顔を返す。
あっちこち上ったり降りたり大変だったが、この道を見付けたのは私ではない。


「覚えてる?私が此処に入院してたとき、三人で病院抜け出して大騒ぎになったこと」
「…覚えてるよ。君が桜を見たいって言った日、真田が主犯で、君を連れ出したっけ」


季節は春で、桜が咲いていた。
テレビで流れたお花見がとても羨ましかった私は、うっかり見たいと呟いてしまったから、さあ大変。


「ちょっとした独り言だったんだけど、弦一郎が任せろって張り切っちゃって…夜にこっそり窓から脱走してさ」
「うん、俺もノリノリだった。でもバレて母さん達に物凄く叱られたよね」
「そうそう。あのときの逃走経路、また役に立つなんて思ってなかったけど」


幸村くんをベットへ押し込んで、丸いすを拝借する。
青みがかった瞳を伏せながら、幸村くんは手術の事や病気のことを教えてくれた。
私が知らなかったことも、みんなとのやり取りも、お医者さんの言葉も、全部。
吐き出すように語り終えた彼は、震える声で、もしかしたらもう二度とテニスが出来ないかもしれないんだ、と言った。
黙って話を聞いていた私に「ねえ、俺はどうしたら良い」と問い掛けた幸村くんへ、眉根を寄せる。


「幸村くん、意地悪だね。本当はもう、どうするか決めてるのに、そんなことわざわざ聞くんだから」
「…どうして、そう思ったの」
「長い付き合いだし、何か決めたんだろうなってことは何となくわかったよ。吐き出してスッキリしたがってるようにも見えたし」
「参ったな」


あーあ、と。
枕に顔を埋めた幸村くんは、穏やかな声音で「今日真田に渇を入れられたんだ」と自分の頬を指差した。


「全力だったでしょ」
「それはもう。お陰で目が覚めた。俺は、手術を受ける」
「…そっか」
「真田に叱られたら、何故か君の声が聞きたくなってね。気付いたら電話していたんだ」


ひらりと伸ばされた幸村くんの手を、両手で握る。
最後に見た時よりも細くなった幸村くんの手は、力強く私の手を握り返した。
根拠のない安堵が胸に広がる。
私は幸村くんの瞳を見据え、リクエストにお答えすることにした。


「幸村くんなら、大丈夫。手術は成功するし、リハビリも乗り越える。一月後には立海のコートに立って、またみんなと一緒にテニスが出来るよ」


私は目を閉じて、祈るように幸村くんの手を額へ当てた。
暑い暑い夏のコート、芥子色のジャージをはためかせた幸村くんの微笑む様が、ありありとまぶたの裏に浮かび上がる。
もう一度大丈夫と唱えた私に、
花が綻ぶような笑顔で、幸村くんはありがとうと笑ってくれた。



【幼馴染みと彼女の話】
「うわちゃ、弦一郎からだ。寝てると思ったのに…」
「バレたの?」
「ん、今から迎えに来るみたい…何で私が此処にいるってわかったんだろう…」
「あいつ、勘が良いからね」
「怒られるかなー…」
「その時は俺も一緒だよ」
「…なんだか昔とはアベコベだね」
「そうだね。…ねえ、真田が着くまで此処に居てくれないかな」
「もちろん」
「手も、このままで」
「いいよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」




(おかえりなさいまで、あとちょっと)

誰も知らない彼女の話

※微糖


少し相手をしてくれないか。
日曜の午後、昼食も済ませさて何をするかと考えていた折、ひょこりと顔をだした弦一郎からお誘いを受けた。
将棋ならお祖父様の方が、と言った私に、弦一郎はそうじゃないと首を振る。
お前でなければいかんのだ、と。
そこまで言われてしまっては、付き合う他はない。


「何をするの?」
「赤也に勝つための特訓だ」
「え、切原くん?」


きりりとした表情で負けることは許されんと意気込む弦一郎に、小首を傾げる。
切原くん、弦一郎に何したんだろう。
叩き潰すための特訓だと連れられたのは、リビングである。
一世代前の据え置きゲーム機が大型テレビに繋がれ、タイトルが画面に写し出されている。


「ゲーム!?弦一郎が!?」
「たわけ、俺だってゲームくらいするぞ。先日、赤也の家に皆で集まった際、勝負を挑まれたのだが」
「負けちゃったの」
「む、そ…操作の仕方が解らなかっただけだ!…とは言え、負けは負けであろう。二度目があってはならん、故に特訓しようと思ったのだ。幸い兄さんの残した機械があったからな、しかし、特訓相手がおらねば意味があるまい」
「CPU使えばいいのに」
「しーぴーゆー?」
「…や、何でもない」


さあ座れと差し出された特等席に腰を下ろし、クッションを抱き抱えてコントローラーを握る。
背筋を伸ばし隣へ座った弦一郎は、目に見えてワクワクしていた。


「私、弱いよ?」
「気負うことはない、俺とて初心者だ」
「んー、」


キャラクターを選び、ステージを選択する。
私はパンダっぽい生き物で、弦一郎は格闘家タイプのキャラだった。
技を確認し、開始の合図で弦一郎へ襲いかかる。


『K.O!』


「む」
「やっぱり…」
「…いや、気にするな。続けよう」


頭に星を飛ばすパンダに、弦一郎が困ったような表情で私を見て、コンティニューのボタンを押す。
その後10回ぐらいパンダが目を回し、弦一郎はようやく私を解放してくれた。
だから、言ったじゃん。
私は格闘ゲームが苦手なのです。


「全く、仕方のないヤツだ!」


切原くんにぼろ負けしたプライドが回復したのか、機嫌の良い弦一郎にわしわしと頭を撫でられる。
ご満悦ぎみにたるんどるぞと笑われ、ちょっとイラッとしたので、私は弦一郎に仕返しをすることにした。


「じゃあ次はパズルやろうよ」
「ふ、望むところだ」


ソフトを挿入し、キャラクターとステージを選択する。
私は青い女魔導士で、弦一郎は黄色いウサギ擬きである。


「弦一郎、何か賭けない?例えば、勝った方が負けた方の言うこと何でもひとつ聞く、とかさ」
「よかろう、掛かってこい。捩じ伏せてくれる!」


私はにっこりと笑い、コントローラーを持ち直した。



『えい!』
『たぁ!』
『いくよー!』
『それっ!』
『ダイアキュート!』
『ファイヤー!』
『アイスストーム!』
『ブレインダムド!』
『ヘブンレイ!』
『ばっよえ〜ん!』


「ほおら凍れ!」
「ぬぁあああああ!!向こうへ、向こうへ入らんか!!」
「邪魔ぷよ達よ弦一郎をやってしまえー!」
「馬鹿者!止めんか!」
「すっけすけだぜ!」


ぬぁあああ!!
弦一郎の断末魔が響き、片側の画面が透明な丸で埋まる。
がっくりと肩を落とす弦一郎に、ふふふとほくそ笑んだ。
落ちものパズルは大得意なのです。


【彼の知らない彼女の特技】


私の勝ちです。
丸まった背中にぎゅうと抱きつく。
興奮の所為か、体温の上がった身体はぬくぬくで温かかった。
弦一郎は悔しそうに眉をしかめると、潔く背筋を伸ばす。


「俺も男だ、約束は違えん。望みはなんだ?言ってみろ」
「あー…、えっと、抱き締めて欲しい、かな」
「なっ!?」


たまには、ぎゅっとしてください。
内心焦りながら口にしたお願いに、わかったと掠れた声で応え、弦一郎は私の背へ太い腕を回した。
そのまま抱き締められ、弦一郎と密着する。
大きくて逞しい弦一郎の腕の中へすっぽり収まってしまい、男女の差を思い知らされ羞恥心が沸き上がる。


「うあ、案外恥ずかしい!もういいよ弦一郎ありがとう!」
「いや、まだだ」
「なにゆえ!」
「短すぎる。これでは賭けの対価には相応しくないだろう」
「じゅうぶんです!」


本格的に顔が熱くなってきたので、弦一郎を引き剥がそうと四苦八苦してみるものの、動かざること山の如しでびくともしない。
逆に暴れるなと耳許で熱っぽく囁かれてしまい、私は完全に沈黙した。



(…弦一郎、もうそろそろ許して)
(…まだ足りんだろう)
(晩御飯遅れちゃうよ)
(構わん)

誰も知らない彼女の話


都大会の決勝戦、弦一郎を応援するために一人で会場に残った。
ゲームセットの声が響くその場所で、私は背を向ける弦一郎の姿を目蓋に焼き付けた。
なんだか、とても悔しかったことだけは覚えている。


【彼女が気付いた世界の話】


おかしな事だと思う。
都大会を準優勝に終えた弦一郎達は復帰した幸村くんを筆頭とし、その先の全国を見据え、日夜練習に明け暮れていると言うのに。
私は何故か漠然とした不安を抱いていた。


都大会、弦一郎の相手をしていた、あの白い帽子の少年。
驚くべき事に一年生レギュラーだと言う彼を、見たことがあるような気がするのだ。
否、"見た事がある"なんて軽い既視感ではなく、もっと深く、それこそ以前から"知っていた"ような。
気のせい、では片付けられない不快感に頭を振る。
最近はいつもこうだ。
思い出せそうで、全然わからない。
確かに何か知ってる筈なのだが、私は何を忘れているのだろう。

軽快なメロディが流れ、自販機が当たりを知らせた。
欲しかったのは最初に買ったお茶だけなので、オマケには普段飲まないようなものを選んだ。


喉元まで出ているのに思い出せないもどかしさに、息を吐いて自販機から離れると、後ろに並んで居た人が売り切れかよと落胆の声を上げた。
何気なく振り向くと、小学生ぐらいの男の子が売り切れの赤いボタンを睨み付けている。


「あ、もしかして、ポンタだった?」
「…そうっスけど」
「ごめんね、これが最後だったみたい」


柔らかそうな黒髪が風に揺れる。
猫のように大きな瞳に見上げられ、私は息を飲んだ。
弦一郎に、勝った子だ。


「アンタ…立海の」
「え、ううん、私は他校生」
「ふーん、先輩?」
「そう…だね、三年。君は、青学の一年生レギュラーくんだよね」


一年生レギュラーくんは、小さく会釈し、私の手にある350mlの缶をじっと見詰めた。
ブドウ味の炭酸飲料を左右に揺らすと、アーモンド形の目が同じように揺れたので、私は当たったばかりのポンタを差し出す。
良かったら飲んでと苦笑すると、一年生レギュラーくんはやった、と小さなガッツポーズをしてプルタブを開けた。


「それにしても、青学は東京だよね。今日はどうしたの?」
「走り込みがてらスポーツショップまで買い出しッス」
「東京から!?」
「そうだけど」


いったい往復何キロあるんだろう。
あまり運動が得意ではない私にとっては、聞くだけでぐったりするような話だ。
フルマラソンのランナーかよと乾いた笑いをこぼし、ベンチへ座ると、一年生レギュラーくんはさも当然と言った面持ちで私の隣へ腰を下ろす。
頬を伝う汗をシャツで拭う一年生レギュラーくんにハンドタオルを手渡せば、彼はひどく驚いたような顔でありがとと言った。


「やっと見つけたんだよね、コレ売ってる自販機」
「確かにこの辺では無いね」
「詳しいの?」
「地元だから」
「そ」


一通り汗を拭いた一年生レギュラーくんは、喉を鳴らしポンタを飲みきると、案内してよと私の名前を呼んだ。


「案内?」
「……ちょっと迷ったから」
「そっか」


大通りから離れたこの辺りは入り組んでいて、他所から来た人は大抵迷ってしまう。
図書館目当てでよくここに来るのだが、道案内したことも一度や二度ではない。


「良いよ、通り向こうのスポーツショップだよね」


ペットボトルのお茶を一口飲み、立ち上がる。
此処からなら歩いて15分位だろう。
気紛れになつく猫のような少年に感じていた蟠りは、いつのまにか無くなっていた。


「…さっき、笑われるかと思った」
「どうして?」
「迷ったなんて言ったから」
「笑わないよ。この辺、道が複雑だから、一年生レギュラーくんが判らなくなっても仕方ないし」
「それ」
「えっと…、どれ?」
「その、一年生レギュラーくんってヤツ」


住宅街をてくてくと歩きながら、他愛もない話を交わす。
俺、一年生レギュラーって名前じゃないんだけどと唇を尖らせた少年に、私は首を捻る。
そう言えば私は、少年の名前を知らなかった。
試合の時は弦一郎にしか意識がいってなかったからなぁと反省し、少年へごめんねと謝る。
改めて君の名前は、と尋ねた私の頬へ小振りの唇を寄せ、少年は艶やかに微笑んた。


「越前リョーマ、覚えといて。あとこれ、洗って返すから」


じゃあまたね、と。
石化する私を置き去りに、越前リョーマくんは颯爽と走り去りスポーツショップの扉を潜ってしまった。


「えちぜん…リョー、マ?」


生意気で、オチビで、テニスが強くて、可愛くて格好良いんだよ、と。

事故死する前の事だ。
友人に押し付けられたが興味が沸かず、結局一巻だけパラ見して返した漫画の主人公は、そんな名前じゃなかっただろうか。
テニスが上手い美少年達が、全国大会を目指し切磋琢磨する少年漫画。
青春学園の一年生レギュラー。
弦一郎に勝った、スーパールーキー。



越前リョーマ。



「…テニスの王子様」


胸のつかえが取れ、呼吸がスムーズになる。
そうだ、思い出した。
越前リョーマ、弦一郎と対戦したのは、この世界の主人公だ。


「なんだ、そっか」


なんというか、あんまり気付きたくなかった。
越前リョーマが主人公と言うことは、青学が主人公で、立海は…弦一郎は、ライバルなのだろう。
主人公の前に立ち塞がり、成長の礎となる。
倒されるべき、敵。


しばらく頭を抱えたが、私は直ぐに悩むのを止めた。
考えても仕方がない。
私は原作なんて微塵ほども読んでいないし、こんな土壇場まで越前リョーマを忘れていたのだ。
今更シリアスぶって一人悩んでもしょうがないだろう。
どちらが勝つか考えたところで、どうにもならないことだし。
だったら全力で応援するだけだ。



気合いを入れて回れ右をした。
目指すはお肉屋さんである。
お腹を空かせてくるであろう弦一郎に、美味しいものをたくさん食べてもらおう。
私は、精一杯、弦一郎を応援する。


今夜はステーキです!
そう、声高々に宣言する私を見て、散歩中の老婦人があらあらと微笑んだ。



(…と言うか、越前くんにほっぺチューされなかったか、私)



庭球ss誰も知らない彼女の話


「弦一郎は靴下のまま!左助くんは裸足!!靴はかないで庭に出たら駄目でしょ!」
「む、すまん!」
「ごめんなさいお姉ちゃん」
「…左助君、何故彼女がお姉ちゃんで俺がオジサンなのだ」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんだし。ゲンイチローはゲンイチローじゃん」
「目上の者は敬わんかぁあ!!」
「弦一郎!」
「な、何故俺だけ…!」
「来年から高校生なのに、小学生に遊ばれてどうするの。左助くんも、あんまり弦一郎をからかわないでね」
「はーい!」
「むっ…!」


眉間に皺を寄せ、いじけながら靴下を脱ぐ弦一郎にやれやれと溜め息を吐く。
左助くんが弦一郎を煽り、乗ってあげたのか乗せられたのかは定かではない弦一郎が追いかけっこを始め、私かお祖父様に止められる。
最近定着してきたやりとりに仕方ないなと苦笑を漏らすと、呵呵と笑うお祖父様に頭を撫でられてしまい、私は子供っぽく頬を膨らませた。


「弦一郎もすっかりお前の尻に敷かれておるわ!」
「敷いてません!」
「敷かれていません!」
「よく言うよ。ゲンイチロー、お姉ちゃんに頭上がんないじゃん」


正にかかあ天下じゃなと笑うお祖父様に、むぅ…と黙り込んだ弦一郎の背を撫でる。
何だかんだで弦一郎に勝てないのは私だし、頭が上がらないのも私なので、実際は亭主関白の間柄なのだが周りにはそう見えないらしい。
惚れた方が敗けだよねと小さく呟いた独り言は、幸いお祖父様の耳には届かなかったようだ。
誰が誰に惚れたか、なんて、野暮な事は聞かないでほしい。



「すまん、汚してしまった」
「平気、洗っておくから寄せておいて。それより今日はショッピングセンターまで合宿の買い物に行くんだよね」
「ああ、午後から向かおうかと思っていた所だ」
「一緒に行っても良い?」
「構わん」


予定がキャンセルになったお祖父様は将棋会場へ、左助くんは約束をしていたと言うお友達のお家へ行ってしまい、その場に二人きり残される。
豆をのせた皿の前に戻り腰を据えた弦一郎は、箸も持たず腕を組むと此方をじっと見詰めた。
洗濯物を畳みながら、無言で先を促す。


「先程、その、」
「何?」
「ほ、惚れたが敗けと、言っただろう」
「んー…」


言ったっけ、と。
すっとぼけてみたが、弦一郎には通じなかった。
やっぱり【敗け】のフレーズが良くなかったんだろうか。


「あのね弦一郎、」
「その理屈で言えば、俺はお前に生涯勝てんのだろう」


さっきのあれは、と言い掛けた私は、照れたように目許を赤くする弦一郎に、え、と目を丸くした。
勝てないとか、そんな、全然弦一郎らしくないではないか。
どんな勝負でも常勝を掲げる彼が、と驚く私に、弦一郎は見事な止めを刺してくれた。


「近い将来、必ずお前を惚れさせ、俺が勝ってみせる」


だから覚悟しておくことだ、と。
不敵な笑みを浮かべた真っ向勝負の皇帝に、私は熱くなるばかりの顔を畳んだ洗濯物へ押し付ける他なかった。

真っ向勝負って、心臓に悪いなぁ。



【彼と彼女と合宿前日】
(とっくに捩じ伏せられてます)
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