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庭球ss誰も知らない彼女の話

※IF、立海生、3-A、真田の隣



ついに来たか、と。
私はため息を吐き、壁掛けの丸い時計をジト目で睨む。
隣の弦一郎がいそいそと和柄の袋を手に立ち上がり、私を見下ろした。
行くぞと一言言った弦一郎は、硬質な髪をさらりと揺らしながら私の手を取り歩き出す。
穏やかな柳生くんに今日はよろしくお願いしますと微笑まれ、私は頷いて教室を出た。



エプロンと三角巾を身に付け隣の弦一郎を見れば、彼は三角巾に苦戦していた。
ちまちまと指を動かしているが、うまく結べず悔しそうだ。


「弦一郎、しゃがんで後ろ向いて」
「いや、自分で」
「時間なくなっちゃうから。弦一郎はお昼ご飯要らないの?」
「む」


大人しく身体を縮めた弦一郎の三角巾を結んでやり、序でに縦結びなエプロン紐を手早く直す。
それじゃあ始めてくださいと言った先生の声に、持参した材料をざっと眺める。
家庭科の調理実習、今日のテーマは少し難易度が高い。
【栄養バランスのよい昼食】、お題を念頭に置いて、前回決めたメニューを確認する。
炊き込みご飯、ほうれん草のごま和え、ところてん、ブリの照り焼き、はまぐりの酒蒸し、キャベツのサラダ、なめこの味噌汁。
以上、班のメンバーの好物と、お祖父様からの差し入れである。

うん、まあ、あれだ。
期待した目でこちらを見ないでいただきたい。
特に弦一郎。


「級長はお米洗って、高橋くんはお湯を沸かして、柳生くんはほうれん草洗って、私は炊き込みご飯の具と、諸々用意するから」
「俺は何をすればよいのだ?」
「弦一郎は座ってお茶飲んでて」
「うむ、わかった」
「いや【うむ、わかった】じゃねぇよ甘やかすな嫁!!真田も働け!!」
「…高橋の言う通りだ、俺だけが何もしないわけにもいかんだろう。何をすればいいのか教えてくれ」
「…じゃあサラダお願いしようかな」
「ああ、任せろ」


「サラダって…洗って千切るだけじゃん…」
「しーっ!黙って嫁に任せときゃ良いの!」
「ほうれん草はこれで宜しいでしょうか?」



なんと言うか、疲れた。
品数の面倒臭さと指示しながらの状況に音を上げてしまいたくなるが、皆と私のお昼御飯が掛かっているのだ。
手抜きダメ、絶対。


「嫁ー、こっちOKだぜー」
「じゃあ器に盛って、柳生くんのところてんも大丈夫だね、机に並べてくれる?」
「嫁ー、ご飯炊けたー味見していい?」
「ありがとう級長、いいよ!弦一郎、お味噌汁は…」
「ああ、いい具合に煮立っている」
「ワオ!」


好物を前にしてか機嫌の良い弦一郎の手もとを覗き込んで、私はつい奇声を上げてしまった。
お味噌入れたってのにゴポゴポに沸騰させてやがる。


「弦一郎、火止めて!」
「熱い方が美味いかと思ったんだが…不味かったか?」
「ちょっと…風味は落ちるけど、大丈夫」


しゅんぼりしている弦一郎に追い撃ちを掛けられる奴が居たら出てこい、相手をしてやろう。

小皿に熱々の味噌汁を掬い、味を見る。
何時もよりちょっと塩辛いので、出汁を加えた。
弦一郎の唇へ小皿を添える。
味噌汁を味見した弦一郎は、やはり違うなと難しそうな顔をした。


「どれどれー…って、普通に美味いじゃん!どんだけ舌肥えてんのよ真田」
「確かに、美味しいお味噌汁ですね」
「腹減ったー!もう食おうぜ!!」


調理器具を軽く片付け、テーブルに着く。
周りの班もぼちぼち準備が整ったようだ。
弦一郎の向かいに座り、頂きますと手を合わせた。



【調理実習のお姫様】




座席に空きがあるのは、一人お休みだからである。


「田中もツいてねーよな、よりによって今日風邪引くとか。鰤美味い!」
「私蛤初めて食べたー。真田のおじいちゃんにお礼言わなきゃ」
「以前合宿でご馳走になりましたが…やはり美味しいですね」
「たまらん酒蒸しだな」
「気に入った?」
「ああ、美味い。また作ってくれないか?」
「いいよ」
「弦一郎は居るか?」


美味い美味いと舌鼓を打ちながら談笑していたら、教室の扉が開いて見慣れた姿が現れた。
すまないなと会釈した柳くんは心なしか窶れているようだった。


「今日の部活のことなのだが、」
「構わないが…蓮二、昼は食べたのか?」
「恥ずかしながら忘れてしまってな…」
「え、マジ?柳お前昼抜きかよ」
「今週は食堂の改修工事で開いていませんからね…昼食が食べられなくては午後の授業にも支障を来すでしょう」
「ああ、まあ、一食くらいならなんとかなるだろう」


若干哀愁が漂っている柳くんの背中に、珍しいこともあるものだとお茶を啜る。
空いてる一人分の席に目を向け、級長を見れば、宜しいとばかりに頷かれたので、私は柳くんに手招きした。
内緒話をするようにこっそり囁く。


「今日、たまたま一人お休みで、余っちゃったんだ」
「しかし俺はクラスが違う、」 「いいからいいから!先生も居ないし。それに、昼抜きの苦痛はよーく解る。食べてきなさいって」
「級長の言う通りだぜ柳、」
「ええ、一緒に食べましょう」
「そうだな。午後の為にも昼は抜くな」
「いいの、か?」
「良いよ、一緒に食べよう柳くん」


では、と椅子に座った柳くんに箸を渡してじっと見つめる。
弦一郎とはまた違う綺麗な所作で炊き込みご飯を口にした柳くんが呟いた美味しいな、の一言に、私たちは嬉しくなってハイタッチを交わした。


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