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オペラ座の怪人

再燃、4月の舞台チケットとっちゃいました…
行くぜ名古屋!

ぐだファン



防音のマイルームに響くパイプオルガンの演奏をBGMに、サーヴァントの好物を温めていた。
初めはその形状に戸惑うばかりであったサモワールを使った紅茶だが、今や肥えた舌の持ち主を黙らせるだけのものとなったのだから、何事においても回数をこなすことは大事なのだろう。
鮮やかながらも上品な花が描かれている、かじれば割れそうなほどに薄いティーカップへ湯気の昇るお茶を注いで、足し湯を傍らへ。ジャムはドクターが朝食に平らげてしまったので、本日のティータイムはチョコレートがお茶請けだ。
先輩がやらなくてもとマシュは不服そうであったが、わりと嫌ではない。何より、本当に嬉しそうに微笑むものだから、どうにもクセになってしまった。
銀の盆を持って一度、二度、声をかけるが、譜面とにらめっこを続けているサーヴァントには聞こえないようであった。まぁ、いつもの事である。
左から肩を叩き休息を告げると、振り返った顔に僅か緊張が走った。己の姿を目に止めた男は、真白い仮面を片手で押さえる。これもいつもの事である。


「根を詰めすぎだぞアサシン」

「あぁ…君か」


些か夢中になりすぎたようだ。
焦点の会わない赤い瞳が顔の辺りを行き来している。ありがとう、と笑う男には、一体己が何に見えているのだろう。それにしても、椅子に座っているというのに目線があまり変わらないのは如何なものか。いや、椅子が高いのだ、そうに違いない。
隣へ腰かけたアサシンと共に、チョコをなめつつ紅茶を啜る。噛み合っているんだかいないんだか判らない話に相槌を打っていると、ふとアサシンの声が途切れた。いつもなら川のせせらぎのように流れる魅惑の美声がなりを潜め、アナログな時計の音がこちこちと緩やかに時を刻む。


「どうした?」
「大したことではない…大したことではないのだ、私の歌姫よ」


私の愛の歌、我が愛しのマスター。
そう繰り返し、落ち着かない様子でカップを上げ下げするオペラ座の怪人は、やがて何かを決心したように唇を噛むと、小さなため息の後おずおずと語り出した。


「いつぞやの、褒美の話だ。君は言った、値の張るものでなければ、私へ…わたしへ贈ろう、と」


温くなった紅茶を喉に流し込みながら思い返してみた。何度目かの再臨後に、確かにそんな話をした。いつまでも心を開いてくれなかったサーヴァントとの絆が深まり、目に見える形でアサシンに認められた、その日の事だ。嬉しくて嬉しくて呆れたような周囲の視線も気にせずアサシンの手を取りぐるぐると回ったっけ。その後すぐゴタゴタがありうやむやになっていたのだが、アサシンは覚えてたらしい。2万フランとか言われたらどうしようかな、その時はQPで何とかしよう。
よっしゃ、何でも来い。
そう胸を叩くと、アサシンは仮面に隠れていない端正な顔を叱られる前の子供のようにくしゃりと歪めた。唇はもごもごと動いているが、何を言っているのかは判らない。


「アサシン?」
「…ふたつ、欲しい」
「二つ?」
「もう一つは、使ってしまった時のために取っておきたい」


吐息に混ざり掠れた声は、甘い響きを持っていた。成る程【オペラ座の怪人】に相応しい耳当たりの良さである。白い絹の手袋に覆われた細く長い指を弄う姿からは怪人らしさは愚か、劫を経てもなお語り継がれる冷酷な殺人鬼らしさなど微塵も感じられず、迷いに揺れる紅い瞳がただただ心細さを滲ませていた。
いいよ、ひとつでもふたつでも、いくらでも。
気がつけばそう口走っていたが、これも魅惑の美声に酔ってしまったせいだろうか。アサシンのスキルが女性にしか効果がないなんて嘘っぱちだと身に染みて理解した瞬間である。ありがとうございます、いい声です。
アサシンの手が頬を滑り、やがて触れるか触れないかの瀬戸際でピタリと止められた。
手袋越しに感じる熱は、此方の体温を次第に侵してゆく。


「クリスティーヌ…、マスター、我が愛の歌、私の主よ、私へ…ぼくへ、」


僕に、キスしてほしいんだ。
煙る紅が点を結ぶ。まっすぐに、誰でもない【俺】を見据え、怯えながらも力強く紡がれた彼の言葉は歌であった。
一つは今、と続けるアサシンの襞襟を引き、剥き出しの頬に一度唇をあてる。ちゅ、と音を立て、すぐに反対側の仮面へ同じように口付けた。つるりとした仮面はアサシンの熱でほのかに温かい。


「一回でよかったんだ、もう一回は取っておきたかったんだ!」
「別に何回でもいいよ、アサシンが望むならこのくらい何ともない」


恨めしげな様子にからからと笑って応えれば、信じられないものを見るような目でアサシンは此方を凝視していた。


「誕生日じゃなくても?」
「誕生日じゃなくても」
「いい子じゃなくても?」
「いい子じゃなくても」


長い手足に絡めとられ、身動きができなくなった。ぎゅうぎゅうと此方を掻き抱くアサシンの存外厚い胸元から、フランス人らしい彼の香水の匂いがする。クリスティーヌ、クリスティーヌと呼ぶアサシンが今求めている存在は、かつての歌姫の影などではなく確かに自分なのだと、何故だかそう感じた。
愛している、私の天使、私のマスター、私だけのクリスティーヌ、お前は私のものだ、私のものだ。息吐く暇も無く溢れ出る言葉は紛う方なき【愛】の洪水だった。耳から侵入したアサシンの声が脳味噌を直に愛撫し、魂の根幹を柔らかく握る。もはや後戻りは出来ないと突き付けるその感覚に一つ身震いして、アサシンの背にそっと両腕を回した。己がクリスティーヌだと宣うのであれば、悲劇など笑い蹴散らしてやろう。The Point of No Return、上等だ、退く気はない。もう嫌だと泣きを入れても許さない。ここまで引きずり込んだ責任は取ってもらうぞオペラ座の怪人。
どんな時でも二人は共に、と囁き唄うアサシンへ同じ言葉を返し、上気する頬へ口付けた。
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