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大殿ss




地鳴り、雄叫び、火薬のにおい。
土埃が風に巻き上げられ、視界を覆っては、蒼すぎる空に散る。
高揚する身体を意思で捩じ伏せ、男は紫の瞳を細めた。
眼前に倒れ伏す敵軍の軍師は、死に逝く道すがら、奇妙な色を宿した目で男を眺めていた。

毛利の乞食に飼い殺されるか、憐れな犬め。

胴を割られ、上と下が泣き別れていると言うのに、斬った相手へ心痛するとはずいぶんとまぁ剛毅なことである。
死にかけが一匹、最早何の脅威にもなるまいと、男は屍の検分を始める。
将、将、足軽、忍びに、旗持ち、たくさんの首、首、首、首。
大漁である。
士気を上げ、将を討ち取り、本陣から目を逸らす囮となれとの元就の命には、充分応えられただろう。
男は薄い唇をにんまりと歪め、物言わぬ死骸に太刀を振るう。
ようやく全ての頭を落とし一息吐くと共に、男は先程訳の解らないことを口走っていた軍師の首をぞんざいに持ち上げ、しげしげと見詰めた。
言葉の無い声で、答えの無い問いを投げ掛ける。
飼い殺さるるは、果たして憐れなりや、と。






はた、と意識が浮上し、男は頭を振るい睡魔を払った。
主の著作の冗長さと射し込む日の暖かさに、ついつい微睡んでしまったらしい。
身動きがとりづらいのは…と紫の瞳を下に向ければ、胡座をかいた腿の片方をこれ幸いと枕にし、元就がぴすぴす寝息を立てている。
口許がある辺りがねとりと湿っぽいのは、そういうことなのだろう。
色々と緩すぎやしないだろうか、この御隠居は。


抗議の意を込め、顎の髭を指先で摘まみ、引っ張ったり捩ったり好き勝手もてあそぶと、うひゃあ、だか、ふやぁ、だか妙な声を上げて元就が目を覚ます。
あくまで頭は従者の太股から離さずに、主は垂れ気味の目をむぅっと寄せ、寝ぼけた声で酷いじゃないか黒、と。

ひどいのはどちらだ、きながしがよだれでべとべとしている

掌が遠すぎるため頬につらつらと文句を書けば、こそばゆいよと元就が身を震わせた。
楽しそうで何よりだと溜め息を吐く男の腰に腕を絡め、元就は黒狼の脚へ頬を擦り寄せる。
孫までいる男とは思えぬ仕草に、黒狼の手が元就の頭を撫でた。
珍しく結われていない、あちこち跳ねた白く長いくせっ毛を浅黒い指へ絡ませ、男は先程の夢を思い出す。
元就の髪がまだ黒く、髭を蓄えていなかった時分の戦だったか。


「どうしたんだい、黒狼」


光の加減によっては金色にも見える薄い茶色を眠たげに瞬かせ、元就は黒狼を見上げた。
身を屈め、ぽてりとした涙袋へと唇を寄せ、戯れる。
くすくすと漏れる元就の笑みに、黒狼は人差し指を筆にした。


とうにんにとってしあわせなことなのに、なぜほかからみればふこうとなるのか


見えない縄でがんじがらめにされていることも気づかず、憐れなものだと軍師は言った。
罵りというよりはむしろ悲哀に満ちたその言葉が、どうにも理解できない。
飼われているか否かで言えば、与えられた録を餌と食み、首に巻かれた見えない縄を元就に引かれる黒狼は、歴戦の勇士と渾名されているが正しく毛利の狗である。

黒狼、君はいま不幸せなのかい。
ほんの少しだけ眉尻を下げて途方に暮れたような表情をした寂しげな老人の呟きが、黒狼の胸を締め付ける。
違う、幸せだ、幸せなのだ。
怖いくらいに。
ふるりと首を振り、情けなくへたる元就の眉を唇でやわく挟む。
ちうちうと顔中に拙い口付けをし、繋いだ手の指を絡め強く握れば、同じような力で握り返され己でも理解しがたい衝動に突き動かされる。
考えるうちに堪らなくなり、黒狼はほうと息を吐き出した 。
手のひらではなく読唇を、と絡め合った拳に軽く接吻し、物言えぬ歴戦の勇士は声なき言葉を元就へと捧げる。

守りたい国があり、尽くしたい家があり、亡くしたくない人があるだけの話を、軍師と言う生き物はどうしてそう難しく考えたがるのか。
まったくもって不思議に思う。
飼われることは不幸せなだけだと、一体誰が断言できる。


すらすらと流れる無音の声に元就は眸を少しだけ大きくし驚いた顔をしたが、すぐに眉尻を下げて、まるで泣き笑いのような表情を作った。
後ろ髪を引かれつつも、固く結ばれた手をほどき、黒狼は人差し指で元就の掌を掻く。
いくら言葉が出ないと言えども、口にするには少しばかり気恥ずかしさが勝るのだ。


あきがすき
もうりがすき
あなたがすき


ほっとしたように顔色をゆるめる元就の、涙袋に縁取られた眦が熱を帯びたように赤く色付く。
それだけでもう、充分である。
それ以外知らなくていいし、知りたくもない。


あなたがあれば、それがじぶんのさいわい


だ、と綴り、締め括ろうとした黒狼の後ろ頭が元就に囚われる。
とろけるような眼差しでぽつりと『ありがとう』と囁き、元就は黒狼と唇を重ねた。



鍵の無い檻の中は、今日も心地のよい幸せで満ちあふれている。

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