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はかりがみにさんししを






「待てよ、死ぬ…か。いや、そうだ、私は死ねば良いんだ」


よし死のう、すぐ死のうと歓ぶ元就に、男は素早く両腕を伸ばし元就の腕を掴んだ。
力任せに引き、させないとばかりにぎゅうぎゅう抱き込み、肩口に額を擦り付け嫌だ嫌だと首を振る。
駄々っ子勇士に埋もれながら、元就は黒狼の背に手を回し、落ち着かせるようぽんぽんと撫でさすった。


「よしよし、違うよ黒狼、私と君を死んだことにするんだ。隆元、二人とも死んだことにしてくれ、そうすれば歴史に集中できる」


あれ、俺も?
いつの間にか頭数に数えられていた黒狼は、元就の肩から頭を上げようとしたのだが、物凄い力で押さえつけられ身動きがとれなくなった。
なんとか拘束を解こうともごもご身悶えるが、やがてぐったりと力を抜く。
振り払うこともできるのだが、そうすると元就を傷付けてしまうかもしれないので、こうなった以上大人しく抱かれる他に術はない。
諦めた黒狼に気を良くしたのか、逞しい肢体を全身くまなく良い子良い子と撫で回し、元就は呆けている息子へ、そこはかと無く黒い物を滲ませた顔でにっこりと微笑む。


「欲を捨てて義を守り、兄弟で仲良く国を治めてくれ。私は黒狼と死人になるから」
「歴戦の勇士殿まで道連れに!?」
「黒狼を一人にするなんて…そんな酷いことはできないよ。かわいそうじゃないか」
「父上は黒狼殿を一体なんだとお思いなのですか…」
「何って…黒狼は私の黒狼だろう?」


極自然に黒狼を抱えたまま、爽やかにその場を辞そうとする元就を隆元が必死に止めたことはまた別の話である。


【これは拐かしですか、いいえ逃避行です】

さんししのはな





今日は名前を漢字で書こうか。
己の隣をぱすぱすと叩き黒狼を呼ぶ元就に、呼ばれた男は訝しげな目を向けた。
紫の瞳が二つ、積み上がった書と、地図と、手紙の山を往復し、やがて疲れの滲む元就の顔へ定まると、黒狼の凛々しい眉が情けなくへたる。
連日の政務で疲れているのだ、邪魔をするようなことはできない。
すっかり常套となった掌への訴えは、黒狼、と珍しく正しい名を呼んだ元就の、悄気た声に遮られる。



「君に字を教えることは、私の大切な息抜きなんだよ。それなのに君は、老い先短い年寄りから、数少ない楽しみを奪うつもりなのかい?」



酷い子だ。
責められるように締め括られた言葉が、穏やかな瞳を悲しみに歪ませている。
黒狼は慌てた。
こんなにも善い人を苛めてしまったと自責の念に駆られながらも、心の端っこがちょっと待ってほしいと叫びを上げている。
なぁ、これ、俺は全く悪くないんじゃないか、と。
元就に負担をかけたくないと遠慮したはずなのに、いつの間にか悪者にされてしまっている気がするのだけれども、気のせいだろうか。
ちらりと元就を窺えば、ああだこうだと悔いている黒狼を満足げに眺め、してやったりと笑っているので、大正解だ。
酷い人だと形作られた唇を知らんぷりし、元就は黒狼を隣へと座らせた。
仮名を教えたときのようにぴたりと張り付き、手をとって筆を滑らせるが、前とは違い、書かされたのはたったの六字だった。
漢字とは、数の多いものではないのか。
元就に寄越される文にも、散乱する地図にも、冗長でつまらぬと立花の当主に放り投げられた著作にも、読めはしないがたくさんの字が書かれていた事は解る。

紙を汚さぬよう筆を置き、元就の手をとって、これだけかと問う黒狼に、元就はこれだけで良いんだよと薄く微笑んだ。


「黒狼、これは君の名前だ。くろい、おおかみ、強くて逞しい君に良く似合っている。それからこれが毛利元就、私の名前だよ。漢字はこれだけを覚えなさい。この二つさえ解っていれば、あとは仮名で手紙を書けるから」


これ以外覚える必要はないと言い切った元就に、何となく釈然としない思いを抱きつつ筆を墨へと浸すが、『元就』と上手に書く度に元就から誉められ、『黒狼』と上手く書く度に良い子良い子と頭を撫でられるので、まぁ、いいか、と。
褒美だよと手ずから喰わされた大福をもごもごと味わいながら、黒狼は己の名を眺めた。
くろう、黒狼、くろいおおかみ、強くて逞しい、と元就から誉められた、元就から贈られた黒狼だけの名前である。
くろう、くろう。
言葉にしようとすれば、うおううおうと獣の唸りが漏れるだけ。
瞬間じわりと心の臓辺りを焦がした熱に、黒狼は胸元を握り締める。
言ってみたかった、口にしてみたかった。
叶うことはないのだけれど。




【さんししのはな】
(柄にもなく泣きたくなってしまったなんて、滑稽にも程がある)

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