とある時間のとある場所、下手糞な鼻唄を歌いながら、小柄な女は手の中の番傘をくるりと弄んだ。
ぱちゃりと跳ねた泥水が白足袋を汚すのも気にせず、足取り軽く上機嫌に雨の一本道を進む。
「おやおやまあまあ、」
道の中程、僅かな空地に植えられた躑躅の先で可笑しな物を見つけ、女は細い首を捻った。
鼻孔を擽るのは慣れ親しんだ鉄錆びの臭いと、余り馴染みのない臭いである。
肉が焦げるような香ばしい其れに鼻をひくりと動かし、女は番傘を片手に凄みのある微笑を浮かべた。
泣く子と好奇心には勝てないのだよと奇妙な持論を言い訳に、腰の刀へ手を添える。
生きているのか死んでいるのかは判らないが、襲い掛かってきたら切り捨てれば良いのだ。
肉食の獣が狩りをするかの如くにじり寄り、躑躅の群れへと踏み込んだ女を待ち構えていたのは、一人の男であった。
「随分とまぁ…ぼろっちいねえ君は。追い剥ぎにでも遭遇したのかね」
いささか興を削がれたように溜め息を吐き、女は襤褸雑巾のような男を爪先で軽く小突いた。
黒と金を基調にしている着物を辛うじて身に纏った、初老に差し掛かろうとする男。
見事に泥まみれだったが、綺麗に刈り揃えられた顎髭と身形が何処と無く品を感じさせる。
低く嗄れた呻きに、女は男の顔へ視線を戻した。
白髪混じりの髪が解れて白い肌に張り付く様は、腹の立つほど色気に溢れている。
年増男の癖にと羨望混じりの悪態を吐き、女は男の髪を鷲掴んで持ち上げた。
しゃがむ己の目線へ会わせるよう男の頭を揺らし、目蓋が開く様を観察する。
ややあって、二つの黄金色がゆるりと女を捉えた。
「驚いた、君は伝令神機じゃあないか。しかも金色の瞳とは…御機嫌いかがかな、悪名高き『持ち主殺し』の【M2N-タイプG】」
「あ…に、く…その、なは嫌…でね」
「ならば通称で呼ぶとしよう。苦しそうだね、【タダスツカサ】松永久秀君。隊士達が血眼で君を捜していたよ」
僕らには関係のないことだがね。
肉感的な唇を弓形にし、女は酷薄な色を双眸へ宿した。
血液代わりの循環液に赤黒く彩られた端正な顔を歪ませ、松永は喉を鳴らし嘲るように笑う。
「卿は…、」
「僕は零番隊の十席さ」
「私…を壊し、に」
「さあて、どうしようかなぁ」
女は心底楽しそうな声でどうしようかなと繰り返し、懐から己の伝令神機を取り出して画面を開いた。
まだ新しいその機械を焦点の合わない眸で見やり、松永は己の終焉を悟る。
最早これまでか、と。
自爆装置を起動させようと力の入らない指を擦り合わせ、刹那驚愕に目を見張った。
松永を掴んでいた女が己が伝令神機をへし折り、数歩先の水溜まりへと放り投げたのだ。
「隊長くんと弟君だけ狡いじゃあないか、僕だってヒトガタ伝令神機が欲しいんだぞ」
「は…ははっ、卿は…恐ろ、しく、ない…のかね」
「僕ァ君より強いからね。君の謀反など恐るるに足りんのだよ」
女は先程と同じように調子外れの鼻唄を歌いながら番傘を松永へ託し、その膝裏に手を差し入れ己より重く長さもある肉体を軽々と姫抱いた。
「さて先ずはアッコちゃんに防水の機能を付けてもらわなきゃあなあ」
「些…末、些末、」
「何を言うのだね、防水とは基本のきだよ」
女が足を進める度に揺れる赤い番傘に目を細め、松永は身体の力を抜いた。
耳に残る女の鼻唄に薄い唇を吊り上げ、薄れ行く意識に心を委ねる。
「卿は、」
「うん?」
「音痴、だと、言われない…か」
松永の言葉に大袈裟なほど仰け反りながら心外だと答え、女は苦虫を噛み潰したようなしかめっ面でぶう垂れた。
【機種変しました】
(失礼なオッサンだなぁ君は。この僕が音痴なんて…そんなこと言われたの初めてだぜ?……いやあの、さ…本当に音痴なのかなぁ、僕。自分では中々だと…って言うだけ言って電池切れとか止めたまえよ!)
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自爆機能付き、玄人向け携帯松永さん。
あらゆるジャンルで百科事典並みの知識量を誇り、文章添削、変更機能がずば抜けている。
冠婚葬祭なんでもござれ、始末書から企画書まで全てパーフェクトに揃えてくれるが、ムラがあり好き嫌いが激しいのであんまり働いてくれない。
音楽再生にも秀でていて、琵琶から笙まで使いこなす芸術携帯。
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ストラップはミニチュア平蜘蛛。