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好きなんだよ、と。
震える声が青年を呼んだ。
すがるように背に回された腕が、痛いほどに身体を締め付けている。
「すきだ」
同姓である筈の幼馴染みは、ポロポロと涙をこぼしながら、少し高い位置にある青年の唇へ己の唇を重ねた。
【レッツゴー地獄街道】
突如襲いかかった柔らかい肉の感覚に身体を石化させた青年は、幼馴染みの行動にぶわりと脂汗を滲ませた。
何故、どうして、と、そんな言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回る。
放課後の教室を夕陽が茜色に染めていた。
誰も居なくて良かった。
ゆっくりと幼馴染みを引き離し、青年は途方に暮れる。
剥がされたことを拒絶だと受け取ったらしい幼馴染みの顔は、それはもうひどい有り様だった。
太めの眉は情けなく垂れ下がり、男にしては丸い瞳には涙と絶望に彩られている。
不味いことになったと思いつつも、青年は幼馴染みを己の胸に閉じ込めた。
ここで青年の話をしよう。
青年の名前は平々凡々なものである。
背丈と体格は同年代の友人らに比べたら恵まれたものであったが、容姿は中の中ぐらい。
街角で見かければ次の瞬間には曖昧になってしまいそうになるような、何処にでもいそうな、よく見れば格好いいかも、程度の人間であった。
幼い頃から空手を習い、大会で何度か優秀な成績を納め、今となっては日本一強い男子高校生との呼び名もあるが、至って普通の人間である。
ただ一つだけ、前世の記憶があるという事を除けば。
青年は幼馴染みへと不器用な微笑を向けた。
悪い感情は抱いていませんよと言うパフォーマンスだ。
幼馴染みはほっとしたように引き締めていた唇を緩ませ、再び青年の背へとその腕を回した。
「…いいのか」
「今更の台詞だな」
そーなんだけど、と。
拗ねたような声で額をグリグリと押し付けてくる幼馴染みの頭を撫で、青年は内心溜め息を吐いた。
ここで幼馴染みの話をしよう。
幼馴染みと青年と、あともう一人の女の子は小さな頃から何をするにもずっと一緒だった。
青年と幼馴染みに至っては、新生児室でおぎゃあと泣いていた頃からの付き合いであった。
高校に入って女の子が恋人を作り、二人と少し距離が開いても、変わらずつるみ続けた二人である。
やたらめったら手先が器用な幼馴染みは、昔からよく面倒なことに巻き込まれたり、自分から面倒を巻き起こしたりと忙しい子供だった。
青年は生まれる前から幼馴染みを知っていた。
とある筋では有名な祖父の血を色濃く継いだ、特別な幼馴染みの名前を青年は知っていたので、取り敢えず身体を鍛えたり、何においても身体を鍛えたり、常日頃から身体を鍛えたりしたのである。
ボウガンと拳銃に負けない人間になろう、と。
「今日から俺達恋人、か」
不動高校二年、空手部主将の青年は、頬を真っ赤にした同じく不動高校二年、ミス研と演劇部を掛け持ちするポニーテールで、スケベで、やる気の無い、けれどやるときには誰よりも何よりも格好良くなる可愛い幼馴染みの手をするりと絡め取り、これからも己の身に降りかかり続けるであろう理不尽な現実をしっかり受け止めようと覚悟を決めた。
おかしいな、とはずっと思っていたのだ。
例えば二人の間に青年と言う異物が混じり混んでいたことだとか、女の子が積極的に幼馴染みをけしかけてきたことだとか、それこそ一桁の年齢の時分から後を着いてきた幼馴染みのふにゃふにゃとした笑顔や熱のこもった視線だとか、異常な頻度で事件に遭遇するのが幼馴染みと青年のコンビだったりだとか、隣町の米花町に帝丹高校があったり新聞に高校生探偵の文字が踊っていたり大会で仲良くなった女子高生の名前が毛利…否、止めておこう。
お腹一杯である。
いっぱいいっぱいである。
キャパが崩壊間際で、なんだかちょっと漏れちゃいけないものが漏れている気もする。
帰り際、足元をちょろちょろと走っていった眼鏡の小学生を視界と意識と記憶からシャットアウトして、青年は幼馴染みの手をぎゅっと握った。
これ以上アレらについて考える事は、精神衛生上とてもよくないと理性が警告を発している。
死体も血も苦手なのだが、とひとりごち、青年は困ったような笑みを浮かべた。
(なんて解りやすい片道切符なんだろう)
(突き放すと言う選択肢は見ないフリ)
title by 207β