どうかきみの骨が欲しい

婆裟羅屋と掲げられた店先の暖簾をくぐり､男はふと首を傾げた｡
隣で畑に関わる品々を眺めていた小十郎が､怪訝な様子で男を見遣る｡


「珍しいな」
「何だ」


視線の先に置かれているのは､一台の妙ちきりんなからくりであった｡
男は店主へ声をかけ､何やら二言三言話したのちに得心がいったようである｡
小十郎へ向き直り､玩具を見つけた子供のような顔で男はふにゃりと笑った｡


「やっぱりスプリンクラーだった」
「すぷ…？」
「sprinkler､畑や芝に水を散布させるカラクリのこと」


散布と言い終わらぬうちに目の色を変え､食い入るようにからくりを見始めた小十郎の気迫に苦く笑み､男は木札に書かれた値段を素早く盗み見た｡
零がやけに多い気もするが､異国からの直輸入で造りが確りしているともなれば仕方のないことなのかもしれない｡
仕入れたは良いがハケる兆しがないとぼやく店主の嘆きは尤もである｡
普通ならばこんなものを買うよりは､己で水やりを行うだろう｡


「……高価ぇな」
「そうだな」


眉間に深い皺を刻み､小十郎は口惜しげに溜め息を吐いた｡
政務やら戦やらで農民より畑に割く時間が少ない小十郎にとってスプリンクラーとは､水やりの負担が減る便利なものに見えるのだろう｡
鍬や鎌なら経費で落とせよう｡
しかし､生憎この品はおいそれと手が出せぬ値段である｡
自腹を切って買うものか否か暫く悩んでいた小十郎であったが､やおら立ち上がり此方へくるりと背を向けた｡
後ろ髪引かれている様子がありありと手に取れる｡


「…欲しいのか」
「いや…､てめぇでやれば済むことだ｡だが…」


言葉とは裏腹に､じとりとからくりを睨む小十郎の目が珍しく物欲しそうに揺れている｡
持ち合わせが足りなかったのだろう｡
自らの懐とからくりの間を行き来する焦げ茶の双眸がいとおしい｡

くるみ､と｡
どこか縋る様な響きのある声音で名を呼ばれ､男は群青の瞳に柔らかな色を滲ませた｡
言い辛そうに葛藤している恋人の手に､男は黙って財布を握らせる｡
きゅっと唇を噛んだ小十郎が何かを言い出す前に､男は笑みを浮かべた｡


「俺も欲しいから｡これは共同出資」
「だが､」
「いいんだよ｡旨い野菜の為だ､安いもんだろ」
「…すまねぇ」
「どうせなら､ありがとうって言ってくれ」
「その…なんだ｡あ…ありがとよ」


ふ､と小十郎の口許が緩む｡
その照れたような微笑みに､男はだらしなく相好を崩した｡


【極稀】

「おねだりされたら世界すら差し出しそうな自分が怖い」
「…強請ってねえ」
「ほっぺた赤いぞ小十郎」
「うるせえ後で返してやる」
「え､ヤダよいらないよもうちょっと良い気分に浸らせてよ寧ろもっと可愛くおねだりして良いんだぞ!かもん!」
「お前が居りゃそれで良い」
「……不覚」

己は伊達に必要だったのだろう｡守り神として､全ての厄災を身代るヨリシロとして､大事にされていたのだろう｡凪いだ湖のような深い色を湛えた小十郎の瞳を覗いた｡感情を圧し殺している､そんな風に見えたのは､恐らく己の願望で､それ以上でもそれ以下でもない｡霞む視界が惜しいと思った｡己を殺す男の顔を最後まで見ていたい｡閉じられた唇に手を伸ばした｡肉付きのよい薄紅色に､赤褐色の紅を引く｡花嫁化粧だよ､口に出さず笑った｡胸を突き抜けた白刃に力が籠る｡流れる紅｡寒くて寒くて仕様がないから､終わりの時は近い｡大丈夫､誰も探しに来ないから｡誰にも知られることはないよ｡帰らぬ者を待ち続ける苦しみを､与えてしまうことになるけれど､それでも俺は　､
なぁ､泣いてるのか小十郎､泣くな､泣くなよ､




「泣いているのはテメェだろ」



そう､だな､頷くことすらできない｡
頬　ぽつ　としずくが　ちる｡
　雨　､






【そして､暗転】









「…死んだじゃねえか､」

嘘つき野郎｡
喰いしばった歯の､軋む音が耳障りだった｡

何故そこまでするのかと問われ､片倉小十郎は眉根を寄せた｡
理由など有って無いようなものである｡
強いて言えば憐れだからだ｡
一日中機嫌と顔色を窺われ､落ち着きなくうろうろと周囲を徘徊されれば､仕方がないから恵んでやろう気にもなると言うものだ｡
可哀想ではないか｡
何日も前から口を開こうとしては失敗し､褥の中でも言い出しては止め､言いかけては誤魔化し､決まって最後はめっそりと落ち込む良い歳をした大人なんぞ､目も当てられない｡
アレは意気地がないのですよ､節操と甲斐性も足りぬようですが｡


「…お前それ素か」
「何をおっしゃりたいのか検討もつきませぬ」


解せぬ､と顔をしかめた小十郎に政宗は頬を引き吊らせた｡
例の男だけにひねくれている腹心へ溜め息を吐き､奇妙な形の枠へと茶色の液体を流し込んだ｡
甘い香りに鼻を擽られ､眼前の物体は本当に食べられるのだろうかと政宗は疑わしげに其れを見る｡


如月が少しばかり過ぎた頃､様子が可笑しくなり始めた右目に客が訪れた｡
甲虫のような小男から渡された何かを､近年稀に見る様相で大事に大事に受け取った小十郎の､あの表情｡
思わずか細い悲鳴を上げてしまった奥州筆頭伊達政宗を､誰が責められるだろう｡
俺は何も見なかったと呟きながら自室に戻り､布団を被って全て無かったことにしようとした政宗は､遠慮がちな声音で襖の向こうに立った小十郎の姿を目にし､なんとも言えない笑みを返すだけで精一杯だった｡

御相談がじゃねえよ､来年三十路だろお前､何で頬染めてんだよ､しかもその型…､
政宗は､小十郎に対し全力で女子かと突っ込まなかった自分を褒めた｡


「All right､後は冷えりゃ勝手に固まる」
「流石は政宗様､小十郎一人ではどうにもなりませんでした」
「…俺も聞いただけだからな､作ったのは初めてだぜ」
「…どれ程で固まるのでしょうか」
「…半刻でイケるんじゃねえか？」


そうですか､と洩らした小十郎をちらりと見上げ､政宗は本日何度目になるのか判らない溜め息を吐いた｡
『固まらなねぇとどうなるか解ってるんだろうな』と菓子相手に念じている右目は､大層凶悪な面相になっている｡

喜ぶと良いな｡

そう零した政宗に､小十郎は面食らったようだ｡
違いますだの､仕方なくですだの､ぐだぐだと言い訳する男に背を向け､政宗は前掛けを乱雑に放った｡
相手の居る奴はイイ気なもんだと嘯き､指に着いていた茶色を舐める｡
思った以上に舌へ絡み付く甘さに､口の端を緩めた｡


喉の奥が痒くなるような甘酸っぱさを振り撒く二人が､嫌いではないのだ｡

【聖戦前夜FESTIVAL!】

余ったら分けてくれるだろうか､と｡
戸惑いつつ迎えてくれるであろう二人の､間に割り込む己の姿に思いを馳せ､政宗は静かに微笑んだ｡