丸く切り取られた空を眺め、いつものことであるが伊作は己の不運を嘆いた。
持っていたトイペはぶちまけてしまうし、やたら深く掘られた穴に引っかかってから既に数刻経っている。
青から橙、そうして紫紺へと移りゆく空の色に眉を寄せ、まぁ雨じゃないだけ幸運かと伊作は長く重い溜息を吐いた。
手入れのために外していた苦無も棒手裏剣も鉤縄も無い、ないない尽くしの状況で伊作は周囲の気配を探り、猫の子一匹居ない周りに涙ぐむ。
イヤイヤ大丈夫大丈夫そろそろ同じ委員会の後輩か同室の友が探しに来てくれる筈だから大丈夫だと己を鼓舞し、伊作は大声を上げるため口を開いて、
「ひゃぁん!!」
失敗した。
一切の兆候なしに突然現れた人物が、背後から細身だが筋肉の付いた腕で伊作を抱きすくめ、汗で湿る伊作の首筋へ鼻面を押しつける。
華奢とは言えぬ傷だらけの手が血の気を欠く程に強く伊作の装束を掴み、藤色の袖から伸びる腕が細かに震えている様に、伊作は声を上擦らせた。
「ど…どうしたの、龍ちゃん!」
女のような悲鳴を上げた羞恥など、背後で噎び泣く愛おしい後輩の前に塵とて残らず霧散する。
締まる腕の中で身体を反転させた伊作が見た物は、精悍な顔つきを涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした委員会の後輩で友人の妹で片恋の相手である立花龍だった。
「いっ…いさ…いさせんぱ…っ…わた、わたしっ…ぅ、うわあああああああああああん!!」
兄譲りである冷静さの欠片も見あたらないほどにわあわあと泣き喚く龍に愕然とした。
ねえ、いったい誰が君を泣かせたの。
腹の底から沸き上がるどす黒い感情を押さえ込み事情を聞き出した伊作は、生きてこの学園から出られると思うなよ…と、元凶である何処かの誰かへ対し溢れ出る殺気もそのままに、珍しくぷっつんとキレた。
「男だと勘違いされて、告白されて?断ったら信じてもらえなくて下半身まさぐられた挙げ句、胸まで鷲掴まれて何で男じゃないんだって逆ギレされたの。…そう、…それ、誰に言われたの、五年?六年?あぁ龍ちゃん、龍ちゃん、泣かないで、ね?くのたまの子かな…ん?天女?…そうあの人なの。そっかそっか、あの人ね、あのクソ女…ううん天女さまね、うんうん龍ちゃんは悪くないよ全然これっぽっちも悪くないよ、よしよし大丈夫、大丈夫だよ」
「なんで…おとこじゃな…って、んな…しらな…、だって、おんなだったんだも、…わた…わたしだって、こんな、なら、おとこが…よかっ、いさせんぱっ…ぅああああああああああああああ!!!!!!」
頭一つ大きな背に腕を回し、伊作は爪先立ちで良い子良い子と龍を宥めた。
泣きじゃくる後輩は、見た目こそ完璧な美青年で声も低めで中身は大層な男前だが、可愛らしくて守ってあげたくなるような面も併せ持つ歴とした女の子なのだ。
見る目のないバカめと内心毒づく。
先程から痛いほど己へと突き刺さる多人数の矢羽根をガン無視し、伊作は手拭いを龍の顔へとあてがった。
なすがままにされる龍は、人に慣れた大型の肉食動物のようで愛らしい。
「ぼくは、龍ちゃんが女の子で凄く嬉しいな。良く気が付くし、優しいし、可愛いし、いつもさり気なくぼくを不運から助けてくれるでしょう?保健室に龍ちゃんがいるとね、花が咲いたみたいに明るいんだ」
「…いさ先輩、眼、腐ってます」
「そうやって照れるところも、可愛いと思うな。他の委員会からも羨ましがられるんだよ?龍ちゃん頂戴って。仙蔵とか小平太とか、長次も留さんも文次郎もうるさいぐらい」
泣き顔から一転した羞恥の顔で唇を噛み締め瞬時に後ずさる真っ赤な顔の龍へ、伊作はふわりと微笑み、瞳のハイライトを消した友人や後輩達に矢羽根を一つ飛ばす。
穴の縁から此方を見下ろすのは微笑みの一切を消した真顔の小平太、背後から真っ黒な邪気を漂わせる仙蔵、無言で獲物を取りだした犬猿コンビ、既に長次の姿はない。
生物委員の委員長代理は、今頃狼小屋の所だろうか。
【ダメじゃないか】
(鍛錬仲間、友人、片恋相手、優しい先輩、可愛い後輩、理由は違えど)
(ぼくらはこの子が大好きなんだから)
(泣かせるなんて…ね)