「お昼の鐘を突き忘れちゃって…」
「わかった、次は起こしに行く。頼まれたら俺に言え」


「手裏剣が錆びちゃった!」
「俺が磨く。お前は水気を切れ。くれぐれも軍手は外すな」


「荒縄がぁあー!」
「…ほどいてやる。お前は隣でどうやるのか見ていろ」


「チョークの発注まちがっちゃったよぅ…」
「それぞれの学年、組用に仕分け済みだ。大まかな数を配ったら、残りは劣化を防ぐ処理の後用具倉庫に運ぶぞ」



小松田秀作は男の昔馴染みであり、兄弟のように可愛がる子分であり、不本意ながら御家の定めた許婚である。
男に男の許婚なぞ不要で無用だと、眦を釣り上げ憤った幼き日の男を撥ね除けたのは彼の祖父であった。
武家でありながら武士らしさを捨てた祖父は、贔屓の扇子屋で生涯の友となる翁と出会い、誓いを立てる。
藤堂、小松田両当主自ら血判を押した書状には、違うことなかれの文言と共に互いの孫を添い遂げさせる旨が記されていた。
しかし、藤堂小松田の両家に女児は産まれず、仕方なしに嫡男ではない男と三つ年下の次男に白羽の矢が立ったのだ。
以来男は小松田秀作の許婚である。


「…龍政にいちゃん、優作にいちゃん来てたよ」


そうかと一言返し、男は図書室から借りた兵法書に目を通した。
どうせ家業が忙しくなってきたので、手伝わせるために連れ戻そうとしたものの、考え直したのだろう。

ざりざりと畳を擦りつつにじり寄る気配に、男は堅く結ばれていた口元をゆるりと緩めた。
間を置かず背に張り付いた許婚の腕が腹に回る。
抱きしめると言うよりはすがりつく様な格好に、男は読みかけの書を閉じ切れ長の双眸を秀作へ向けた。


「だめだからね」
「何が」
「龍政にいちゃんはぼくの許婚なんだから」
「そう言えば、」


そうだったかもなと呟く男に、秀作の肩が跳ねる。
夜着を掴む手は力の入れすぎで白くなっている。
少し虐めすぎたようだ。
男は背の秀作を引き剥がし、己の腕へ閉じ込めた。


【無題】
(…秀作、いい加減布団の中でにいちゃんって呼ぶのを止めろ)
(どうして?龍政にいちゃんは龍政にいちゃんだもん)
(……はぁ)