※置いていった男と持っていかれた女
※土+医
※再会前











見るからに不健康そうな一人の女に、面影を探していた。
笑顔が似ている、眼差しが似ている、指先が似ている。
最後は殆どこじつけだったように思う。
幸せになるようにと祈って自ら手放した、たった一人の女の影を、懲りもせずに探していた。








はだけた胸をしまい、土方は眼前で書き物をする御影をまじまじと見つめた。
お世辞でも良い女、と称するのには些か難がある。
水気の少ない榛色の髪、理知的な光を宿すものの、濃い隈に縁取られた同色の瞳。
肉感的では無いにせよ、骨っぽくは見えない。
顔付きは整っている方であろう、平均的な妙齢の女、そんなところであった。

長いまつげが瞬き、土方を捉える。
不躾に眺めていたことを咎めるわけでもない御影の視線は、ただ単に土方を訝っているようだった。


「アンタ、男はいねぇのか」


ぽかんと眼を見開いた御影は、疲れた様子に呆れの気配を滲ませて土方を見据えた。
居るように見えますか。
責めるわけでもなく、淡々と返された答えに土方は声に出さずそうだろうなと頷いた。
患者に対する愛想はある女だが、その実私生活ではまるきり人と関わろうとしないことを土方は知っていた。
仮を返す心持ちで、下心など微塵も無しに何度か誘った食事も、その都度やんわりと断られている。
生の臭いがあまり感じられない女だ。
未練や執着、そう言った感情がごっそりと抜け落ちたような不安定さを纏っている。

昔は居ましたが、と。
カルテを書き終えた御影が土方の腕を取り、抜糸の済んだ傷痕へ消毒液を染み込ませた綿を押し当てた。
もう殆ど見えなくなった其処に、腕の良い医者だと改めて感心し、土方は御影を見る。
伏し目がちに手当てを続けるその姿に聞かずとも理解ができた。
昔の男は、何らかの理由で御影の元へは戻らなかったのだろう。
置いていかれた女の成れの果て、そんな言葉と手放した筈の笑顔が脳裏に過った。
土方の苦い貌を見てか、困ったように御影が笑う。
半分持ってかれちゃいまして、呟くような声に土方は眉をしかめた。
騙されでもしたのだろうか、半分持っていかれたとは穏やかではない。
何だかんだと世話になっている身としては、放っておくことも憚られる。
なにより土方は警察なのだ。
江戸の市民の安全を、生活を守ることが仕事である。


「詐欺にでもあったか」
「まぁ、そんなようなものですかね」
「番所に訴え出ねぇのか」
「……意味の、無いことです」


あの人はもう帰ってこないですから。
弱々しい声で、ぽつりと溢された言葉に土方は息を飲む。
ああ、確かに持っていかれてしまったのだな、と朧気に悟った。


「腕はおしまいです、胸と背は引き続き経過を見ましょう」


しんみりとした空気を散らすように、御影はにこりと笑顔を浮かべた。
わざとらしさを感じさせない見事な作り笑顔に、土方も引き締めていた口の端を緩める。
考えても仕方がないことならば、考えない方がよい。
ちらと見上げた壁掛け時計の短針は、とっくに十を指している。
時間外にすまねぇなとタバコを取り出し掛けた土方の手を苦笑でとどめ、御影は白衣を脱ぐ。
どうせ待つのは寝酒だけですから、と笑う御影に寂しい奴だなと土方は微笑んだ。

さぞやおモテになるんでしょうね、おー羨ましいだろ。
軽口を叩きながら店じまいを終わらせた御影は、未だ暇する気配を見せない土方に小首を傾げた。
御影お得意の困ったような顔に軽く吹き出し、土方は立ち上がると眼下に見える小さな頭をぐりぐりと撫で回した。


「ひじ、かた、さん!ちょ、痛いですって!、これ、セクハラ!ドクハラですよ!」
「ドクハラならお前が加害者だろうが」
「違いますー、ドクターに対するセクハラですー」


ふと御影の顔が曇り、何かを懐かしむような色がその双眸をちらりと横切る。
まっすぐに土方を見つめる御門の眼に、女を置き去りにした男の姿を見たような気がした。
なんの事はない、御影もまた土方に誰かを探していたのだろう。
笑顔が似ているのかもしれない、眼差しが似ているのかもしれない、指先が、似ているのかもしれない。
違うとすれば、と考え、土方は頭を振る。
何も違いはしない。
生きているのか、死んでいるのか。
せめて幸せになるようにと、そう祈って手を離した女。
もしかしたら、己もあの女の半分持ってきてしまったのだろうか。
あるいは、半分置いてきてしまったのだろうか。
呑まねぇか、先生。
沸き上がる激情を捩じ伏せ、掠れた声で男は呟いた。
そうですねぇ、と気の抜けた声で女は応えた。



【はりにまみれたねずみがにひき】



誰かか居ないと眠れないんですよ。
年期の入ったカウンターにぺたりと頬を付けた御影に、土方は酒気でぼやける思考を働かせる。
誰も寄せ付けるつもりなどないくせに、と言ってやらなかったのは、せめてもの優しさだった。