※マヨラーと糖尿と時々医者









大きなマスクで顔を覆い、ぐずぐすと鼻を啜る男に声を掛けられたのは、本日終了の札を門扉に引っ掻けようと表へ出た時分の事である。
雪明かりに照らされた見るからに体調の悪そうなその男は、漆黒の双眸を苦しげに歪ませ、すまないが診てくれねぇか、と帰り支度を整えた医者へ向かって頭を下げた。
医者は微かに片眉を上げ、閉めたばかりの鍵を開ける。
お入りくださいと男を招き、襟巻きを緩めて暖房のスイッチを入れた。
暖かな診療所の空気に触れ安堵の息を吐く男は、江戸に出たばかりで医療機関に明るくないという。
行く先々で門前払いを食った、とぼやく男へ大変でしたねと苦笑を溢し、体温計を手渡す。
一分後、小さな液晶に並ぶ数字を見た医者は、こぢんまりとした点滴室へ有無を言わせず男を連行した。


どてらを脱がせ、替えの着流しを手渡す。
汗で湿った男の着物を洗濯機へ放り込み、点滴の準備をし、小さな冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、氷枕を作った。
針を片手に、腕を出してくださいと言った医者を、寝台へ横たわった男は苦々しく見上げる。
どうやらこのナリで注射が怖いらしい。
他に薬、ねぇのか。
まるで子供のような男の態度に、医者の口許が緩む。
仕方がないといった風体でポケットから薬を出せば、男の瞳がふっと和らぐ。


「座薬でよければ」


さあ尻を出せ。
笑顔で促す医者に、男は黙って腕を出した。


「…痛くねぇ」
「それはよかった」


抜けないようテープを貼り、男に布団を被せる。
どうやら今日は泊まりになりそうだ。
帰ったところで何があるわけでもない、隣のスナックで寝酒を舐めるしか予定がなかったのだ。
込み上げる欠伸を噛み殺し、医者は定位置である机に腰かけ男のカルテをつけた。




「へー、そう、俺より先に多串くんと会ってたの。俺より先に。あーほんとだわ、カルテの番号一桁だわ、俺なんか三桁だっつーのに多串くんは初期患者、プロトタイプ」
「何を妬いてるんだお前は…あと診察中は邪魔をするな。土方さん、胸の音を聞きますのでシャツを」
「ハイ脱いでー!」


銀髪の男によりびりびりと破かれたシャツだった布が床へ落ちる。
何しやがる万事屋ァアアア!
あらまー、ごめんねー
ぎゃんぎゃらと取っ組み合う大の男二人に、医者は痛む米神を押さえた。
あの夜以降、男は医者を掛かり付けに決めたらしく、やれ健康診断だ風邪だ疲労だ刃傷沙汰だと、なにかと顔を合わせるようになった。
最近はご無沙汰で、息災であるのだろうと喜ばしく思っていたのだが、原因は隣の男だったらしい。


「大体、何でテメェがここにいやがる!」
「依頼ですぅー、頼まれたからバイトしてるに決まってんだろーが!」
「借りたお金が返せないそうなので体で払ってもらってるんですよ、タダ働きの肉体労働です。口開けてください、あー、」


あー。
餌をねだる雛鳥のようにかぱりと開いた口内には、微かにニコチンの臭いが残っている。
土方さん、と改まる医者に、土方の背筋が伸びた。


「タバコの本数は減らしていますか?ただでさえ悪玉コレステロールの値が少し高めなんですから、マヨネーズとタバコをなんとかしないと……なんか爆発します」
「してたまるかぁああああ!なんだその適当な診察!起こるわけねーだろ爆発なんか!」
「動脈硬化、脳卒中、狭心症、心筋梗塞、肺癌、口腔癌、肥満、その他諸々…散々お話ししました。打開策も話し合って妥協案も出して、正直もう面倒です、言っても聞かない患者に裂く時間はありません、帰れ」
「酷くね!?」


がくりと項垂れる土方を指差しプギャーと爆笑している男へカルテを投げつけ、医者は青筋を浮かべる。


「笑っている場合か。甘いものは控えろ、パフェは週一だとアレほど言ったにも関わらずこの血糖値は何だ銀時」
「戻ってる!口調が昔に戻ってる!」


太い注射器を二本構え、雷を背負い阿修羅と化す医者に、患者二人は身を縮ませ子羊のごとく震える。
安心しろ中身は栄養剤だ。
にっこり、と。
お日様のように慈愛に満ちた、見るもの全てを癒す暖かな笑みを浮かべ、医者はその手を振り下ろした。




【お医者さんの言うことは聞きなさい!】