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ぐんないベイベ

※坂田と女医








「銀ちゃん」


びちん、と額に鋭い痛みが走る。
眼前に佇む少年は、面白くなさそうに唇を尖らせていた。


「ほ……本気でやったな?」
「おうおう本気だよ本気とかいてマジと読むよ」
「うわ、痛い。なにこれ痛い、じんじんしてきた」


デコピンを放った手をふりふりとさ迷わせ、つーかなに、医者って頭良いもんなんじゃねーの?と死んだ魚のような赤い目を歪めて愚痴る少年に、少女は眉を垂らして苦笑を返す。
ぶすっと膨れた頬のまま細い腕を伸ばし、少年の口が少女の名を呟いた。
隙間なくピッタリとくっつけられた幼い子供の他愛ない抱擁に、女はいっそう困った顔で微笑を浮かべる。


「俺だけ、呼ぶから」
「うん」
「お前の名前、俺だけが呼ぶから、誰にも教えんな」
「うん」
「ヅラにも高杉にも呼ばせんな」
「うん」
「先生もダメだ、オメーの師匠もダメだ」
「うーん?」
「頷けよ馬鹿」
「まぁ心配しなくても、今のところ銀時しか知らないね」
「だから教えんな」


そー言うものですか、そー言うものです。
少年は、どこか遠くを見ているだろう少女の痩せた身体へ回した腕に力を込める。
少女は医者であったらしい。
少女は迷子であるらしい。
少女の名前は御影ではないらしい。
帰る場所はあるくせに帰る事は叶わず、家族にも最早会うことはなく、何もかもを手放さざるを得ず、身一つ名一つでここにいるらしい。
少年が師と出逢う少し前、戦場で少年を拾った少女は、そんな女であったらしい。


「もっかい言うけどな、お前は銀ちゃんとか呼ぶな。ぜってー駄目、お前だけはダメ。言ったらアレ…デコピンな、爪立てたやつ」
「イジメじゃねーか。先生ー!銀ちゃんがひど、いだいっ!!」
「呼ぶなっつってんだろ学習能力ねーのか」


大きな榛色の目に涙を貯めた少女を鼻で笑い、少年はつま先立ちになって赤く色付いた少女の額へ唇を寄せた。









「…銀時、痛いんだけど」


オメーが悪い。
そう言い捨て、くわっと一つあくびをこぼした男に、白衣の女は片頬をひきつらせた。
榛色の前髪がさらりと流れ、白い額にポツリと浮かぶ赤い跡が妙に目立つ。


「もうそろそろ本気はヤバイんじゃないだろうか、額陥没してない?血出てない?」
「あーはいはい出てない出てないキレーなもんだわ」
「……患者さんからお団子もらったから持ってきたけど、銀時忙しそうだから帰るよ」
「ああああまてまてまてまて!!十八ちゃん来てくれて銀さんチョー嬉しーから団子くださいお願いします!!」


床に額を擦らんばかりの勢いで迫り来る男を慣れたようにかわしながら、医者になった医者だったいつかの少女は空っぽの湯飲みへ薄い茶を注いだ。
予想以上に色が無かったのだろう、今度お茶の葉買ってくるねと苦笑する女に、団子を頬張る男はおーと生返事を返した。

テレビの音もなく、近所の子供がはしゃぐ声が時折聞こえるだけの万事屋に漂う空気は決して居心地の悪いものではない。
そういえば、神楽ちゃんにどうして銀時は私を十八と呼ぶのかって聞かれたよ。
醤油味の固い煎餅をかじりながら、思い出したように医者が呟く。
おー、新八もおんなじ様なこと言ってたなぁ。
もちゃもちゃと幸せそうに頬袋をパンパンにした男が答えた。


「どうして、かぁ……なんで銀時はあの時あんな約束させたの?」
「……やくそくぅ?」
「名前で呼ぶな、呼ばせんなってやつ」
「そりゃおま、……まぁ、なんだ、うん。あれだよ、アレ」


医者の顔にはありありと「訳がわからない」と記してあり、男は思わず笑ってしまった。
結局下らない独占欲なのだ、今も、昔も。
口の堅い女の秘話を知っているのは今となっても自分だけで、本当の名前を知っているのもまた自分だけ。
当人が当たり障りなく周りを誤魔化すせいでもあるが、故に一層、女の真実が自分だけの物であるかのような心持ちになる。


「…御影診療所の御影センセー、【御影】は皆の【御影】、皆のお医者様だけどよォ、……十八は俺だけの十八だろ」


今も、昔も。
銀色のふわふわした髪を掻き回し、男は赤い耳を隠そうともせずそっぽを向いた。
女は眉を垂らして、困ったような、ほんのりと目尻を赤くした顔で笑っていた。



【昔の話をしましょうか】


でもあれだよね、銀時を銀時って呼ぶ女の子も増えたからそろそろ私も銀さんとかよび、

びちん。
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