龍宮乙彦は基本的に面倒臭がりの人畜無害なお人好しである。
特徴が無く記憶に残らなそうな普通顔の中、眠たげに細められた双眸でぼんやりと虚空を眺めている。
サラストとは程遠いが、髪結い忍者であるタカ丸のセンサーには引っかからない質の、長くも短くもない黒髪を引っさげたやる気のなさそうな五年生。
それが龍宮乙彦である。
「乙姫はあれだな、もっと委員長であるわたしを敬うべきだな!」
そう言って向日葵のような笑顔を浮かべる七松小平太に肩を叩かれ、五年も一緒にいて未だに名前を間違うような先輩を尊敬?冗談キツいっすよ七竈先輩ーと乙彦は無感情に軽口を返した。
青筋を立てた七松の手が出る前に姿と気配を消し、木々伝いに逃げる。
七松は野生の獣さながらな嗅覚と身体能力で体育委員長代理である五年生を追うが、乙彦とて伊達に五年も暴君の配下的位置に立っていない。
元気の有り余る小平太を香木や香り袋で散々誤誘導し、己は悠々とお気に入りの大木へ身体を横たえた。
「副委員長!」
「滝夜叉か」
「滝夜叉丸です」
また委員長と追いかけっこをしていらしたのですかと問い掛ける後輩に気怠げな笑みを返し、乙彦は枝を降りた。
「七松先輩も、暇になったからってちょっかい出すの止めてくんねぇかな」
「…龍宮先輩が乗るからですよ」
「姫姫言われると頭に血が昇ってなぁ」
「そうは見えませんが」
端から見ると暴君相手に自ら寿命を縮めるような命懸けの鬼ごっこだが、当人達にとってはただの軽いじゃれ合いでしかないことを知っているのは、今のところ体育委員会だけである。
体力の有り余る小平太が六年の面々を組み手や鍛錬に誘う気配を見せると、小平太の無茶苦茶度合いを理解している彼らは蜘蛛の子を散らすように姿を消す。
一人で行う鍛錬など高が知れているし、忙しそうな先生方に頼むわけにも行かず、じゃあ後輩で我慢しようと自己完結した小平太が乙彦へ突っ込んで行く様子は滝夜叉丸にとっても最早見慣れた光景となっている。
私が一年の時からだものと内心で苦笑をこぼした滝夜叉丸は、大体中在家先輩が余計なことをするから、と愚痴りだした乙彦に相槌を打った。
「浦島太郎読んで、後輩の俺の名字が龍宮、名前が乙彦だから『お前は竜宮城の乙姫だ!』なんて…安直だよなぁ」
「姫…は流石にあれですが、浦島太郎と絡めたくなる七松先輩の気持ちも判ります」
「…俺達、奇跡の五はだからな」
五年は組。
例年に漏れず実戦経験豊富で、身体能力や戦闘能力だけで見ると六年に並ぶとも勝るとも言われる彼らの名前は、学級委員長を務める浦島麟太郎を始め皆一様に海の仲間に関係する。
入学時、たまたま揃ったそれらしい苗字の新入生が学園長の思い付きで集められただとか、組編成をした安藤先生が質の悪いギャグとして集めたのだとか諸説有るが、未だに正解は判らない。
とりあえずその年の【は組】は何となく魚臭い、良く言えば潮の香り漂うメルヘンな組となったのである。
「名前関係で未だにからかってくるのは七松先輩ぐらいだろ」
まったく…六年だってのになんであんなに大人気ないんだ。
げんなりと溜め息を吐く乙彦に、滝夜叉丸の口からはくすくすと笑い声が漏れた。
「委員長は、副委員長が大好きなのですよ」
私たちもですが。
そう付け加え、凛々しい顔つきを緩めほんのりと頬を染めた滝夜叉丸の頭を頭巾ごとやしゃわしゃと掻き回し、乙彦は己の懐から取り出した飴を後輩の唇へ押し付ける。
「あーんしろ。ほら、」
乙彦の指先から怖ず怖ずと飴玉をくわえた滝夜叉丸は、相も変わらず細められた双眸の中に宿る暖かな色を見つけ、密かに胸を高鳴らせた。
「俺も大好きだよ」
甘いのは、飴か、それとも、
【ぼくらの乙姫さま!!】
「ずるいぞ乙彦!わたしにもあーんして!!」
「あーん」
「んむっ…なんだこれハッカじゃないか!!」
「吐き出したら食堂のおばちゃんにチクりますよ七竈委員長」
「むーっ!食べた!!もっと!!ハッカ以外!!」
「残念ですが…委員長用はハッカしかありません」
「なんだとぉ!!」