うんと幼い頃、色々な店が立ち並ぶ街角の玩具屋さんのショーウインドウに良くへばり着いた。
曇り空の雲を絡めて紡いだような灰色の毛並、愛くるしい顔に並ぶ二つのシトリン、首に巻かれた真っ赤なサテンのリボン。
大きな大きなテディベアのご婦人に、僕は首ったけだった。
時間さえあれば来る日も来る日もガラス越しにうっとりとテディベアを見詰め、足繁く通った。
ある日、店の主人が僕を彼女に会わせてくれた。
初めて触れる彼女はやはりとても大きく、柔らかくふかふかしていて、僕は益々虜になった。
両親に頼み込み、漸く向こう三回分のクリスマスプレゼントとして彼女を買って貰える事になった翌日。
彼女は忽然と姿を消してしまった。
どこか遠くの外国の女の子に貰われていったと聞かされ、僕はその場で大声で泣いた。
「苦い初恋の話だよ知識…」
「…あれですか、俺の外見がその熊っぽいとか言いたいのかこのイタリア野郎」
背中から腕を回しベッタリ張り付くシェフを引き摺りながら店内を掃除する。
時たま敬語が暴言に刷り変わるのは、多分そろそろ俺の脚の筋肉が限界だからだ。
全体重を掛けしがみつく男に溜め息を吐いて、モップの柄に掌と顎を乗せた。
「ミケーレさん、俺がチーフに怒られるんですから退いてください」
「ミケーレと呼んでくれないか知識」
「ミケーレさん、妙子さん呼びますよ」
「ミケーレ、」
「優しく言ってるうちに諦めろやテメェはよ」
接客用の仮面をかなぐり捨て頑として突っぱねれば、にこにこ笑う向日葵のような顔が、途端悲しみに歪む。
「疲れた恋人に優しくしてくれないのかい」
「おつかれっしたー」
モップとバケツをロッカーにがこがこと突っ込みバックヤードへ引っ込めば、ワザとらしくおいおい泣き喚くシェフが纏わり付いてきた。
イタリア人はどうしてこうストレートに愛情をぶつけてくるのか…
告白した覚えもされた覚えも無いのだが、相手の中で俺は恋人に認定されているらしい。
……………男同士だけど。
嗚呼、俺も誠みたいにバイトの女の子といい感じになりたい。
自転車で二人乗りしてクリスマスツリーとかやりたい。
無駄に灰髪金目なクォーターなせいで初日からキッチンに捕らわれ、琢磨さんの手伝いやらミケーレさんの手伝いやらチーフの手伝いやらするうちにすっかり俺はホールから程遠い存在となっていた。
時給が良いからってウェイター募集の求人に飛び付いたのが間違いだったのか。
「知識は僕が嫌いかい」
しおらしいオッサンに何と答えるべきか迷っていると、仕方がないじゃないかなんて呟きがポツリ聞こえた。
「僕は男で、君も男で…、でも、好きなんだ。
琢磨とじゃれる君を見る度、醜い嫉妬が沸き上がってくる。一回りも歳が違うのに、身の程知らずの僕は君に愛されたがっている。邪な気持ちを赦しておくれ知識」
君がすきなんだ。
きつく握られたエプロンが皺になりそうだ。
勘弁して欲しいぐらい真摯で一方的な告白に目を白黒しつつ、
(ミケーレさんは俺より少しばかり小さいけれど、髭の生えた立派なガタイの良いオッサンで)
(バイトの子と言うか可愛い女の子全般が大好きで)
(料理はプロだしアモーレのシェフだし)
背中を丸め涙ぐむオッサンが雨に打たれた仔猫に見え、さらに其れを可愛いとか思ったのは何の冗談なんだろう。
俺は嘆息し、肩口に見える緩く束ねられた茶色い髪の毛に恐る恐る手を伸ばした。
【オールド・ボーイズ・ラブストーリー】
(熊のぬいぐるみじゃなく人として扱ってくれと伝えたら)(キラキラ光るコーヒー色の瞳が柔らかく滲んだ)
「聞いておくれ琢磨!!
知識はね、頑張る僕に神様が与えてくれた天使なんだよ!!」
「……柄悪い天使が居たもんだ」
「何か文句でもあるんですかリーゼント」