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しあわせ

ジャンクフードで遅い昼食をとっている私の目の前に居た親子に、ふと視線をやった。

見覚えのある顔のアウトライン、昔の同級生だった。

子供は二三歳だろうか、彼女は私と同い年の筈である。
(だが名前が思い出せない、リナだったかリサだったか、はたまた違う名前かもしれない。私は彼女を好いていなかった、向こうもそうだろう、だから思い出せないのだろうか?)

純粋な好奇心が頭をもたげる。
幼児を見る彼女の目には母の光と安寧や幸福があるくせに、諦めやら投げ遣りやらの色が見えていた。

ママはバイトがあるから早く食べなさいと急かす彼女に感じたやるせなさを、私は上手く言葉に表すことが出来ない。


(果たして彼女は今幸せなのだろうか?)


要らんお節介だ。

成人過ぎて浮いた話の一つもないような私は、ただ単に彼女が少し羨ましいのかもしれない。

或いは、夫婦と言えど他人と変わらない相手と絆を結ぶ恐ろしさに、家庭なんてと畏怖しているのだろうか。

もしくは、変わっていく時間をまざまざと見せ付けられているようで、現実から逃げてしまいたいと無意識下で願っているのだろうか。

どれにしたって良くはない、良くはないが、別段悪くもないだろう。
これが私で、変えようの無い事実だからである。誰に悪いと言われようが、最終的には関係無いのだ。
結局私はネバーランドから抜け出せない意固地なピーターパンで、来る筈の無い魔法使いや王子を夢見るシンデレラなのだ。
まぁ…しばらくの間になってしまうか、一生続くか判断がつかないのが難点だ(一生は出来れば遠慮したい)。

加えて、どうせ来るなら可愛いネグリジェのウエンディよりもカボチャパンツの王子様よりも、頬傷の有る強面を所望したい。


彼女はいつの間にか席をたっていた。
私はついぞ彼女と視線を合わせることをしなかった。


厭だ

厭だ厭だ気持ち悪い不快だ不気味で奇妙で気味が悪い、厭だ厭だ厭だマジで厭だ。
読み終わったとき、思わず厭だ厭だとぶつぶつ口ずさんでいました。


長年本を読んできたもので、肌に合わないものにも会って来ました。

厭な小説

我等が京極先生の本で怖いもの見たさに読んでみたのですが、もう二度と手に取りたく有りません。
表紙を見るのも嫌です。
中身は最高でした、とても面白かったです。
けれど、読み返すことはないでしょう。いや、ホント。

文章にグロテスクなものは一切無いんです、死体なんかも、わりかしアッサリ書かれてます。
舞台も現代だし、サラリーマンなんて身近な題材が組み込まれてて…
だから余計に厭なんでしょうね。

なんかね、感性に直にクるんですよ、いやぁな感じが。
生理的嫌悪とか、ありとあらゆるいやぁな感覚をさんざん引っ掻き回すんです。
でも京極さんの文なんですよね、厭で厭で仕方ないのに読むのが止められなかったことに泣きそうです。
今も薄気味悪い何かが背中にぺっとり貼り付いてる気がする。
頭の大きな子供とか知らない筈の老人とか仏壇とかが…
おすすめしたいような全力で止めたいようなでもおんなじ気持ちを知って欲しいような……


複雑
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