別所長治辞世の句

別所夫妻の首塚をお参りした私は、そのまま三木城跡へ。

別所長治の辞世の句碑。
「今はただうらみも
あらじ諸人の
命にかはる我身とおもへば」
自分が死ぬ事で領民が助かるならば、何の恨みもない、との事ですが、我が子すら手にかけねばならない無念はあったんじゃないですかねぇ・・・
その辺り、現代人の我々にはわからないものがあったのかも知れませんね。
かくして、二ヶ月かけて合戦の両陣営を見て来た私でした。

別所首塚勝負

三木駅から歩いて向かった場所、それはこちらの別所長治・照子の首塚。
先月、三木合戦で羽柴秀吉が陣取った辺りや、戦半ばで病死した竹中半兵衛の墓を訪れた私。
先月は攻め込んだ織田側でしたが、今日は攻め込まれた別所側。
三木合戦は「三木の干殺し」と呼ばれ、秀吉の兵糧攻めにあった三木城は壮絶を極めたそうです。
食糧を完全に断たれ、木の根や馬はもちろんの事、人肉まで食べたと言われます。
降伏を受け入れた別所氏は一族揃って自害。
別所長治・照子夫妻は、幼い我が子を刺し殺した後、自刃したとの事・・・

そんな凄惨な歴史を知っているからこそ、せめて美味しい物を・・・と、三木の駅前で買ったとりめしを二人分お供え・・・
先月三木市内の朝市で買って美味しかったので、今日は製造元の店で買いました。
無念の死を遂げた別所夫妻、ひいては三木城の兵士らを想い、手を合わせた私です。

湯の山街道あるき旅・三木

先月、三木まで足を伸ばした私ですが、今日もまた三木まで。
三木駅近くの美嚢川は、ここの所の雨で増水していました。

ずいぶん前にこのブログで紹介した古民家、旧玉置家住宅。
ここの喫茶コーナーで甘酒をいただいた後、目的地に向かいました。
その目的地は後程・・・
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