森須流舞蘭氏の日記・解明編

そんな訳でやってみました、エイプリルフール企画、いかがだったでしょうか?
けっこう虚実入り交じっていますので、どこまで嘘かを説明しますと・・・
まず、親戚の家の片付けをしていて、古い日記が出て来たのが嘘。
また、森須流舞蘭という親類も存在しません。
『探偵ルコック』は、親類の家から出て来たのではなく、古本市で買いました。
無声映画を活動弁士つきで見たり、横溝正史に関する記述など、その他は事実ですね。

今日のエイプリルフール、ブロ友さんたちも、色々趣向を凝らしており、大変楽しめましたね。
これで昨年から考えていた企画は実行出来ましたが、来年は何をするか・・・?(笑)

森須流舞蘭氏の日記より・4

1929年1月15日

仏国の探偵小説家、ガボリオーの『ルコック探偵 河畔の悲劇』を買う。
少しばかり読んでみたが、確かに前書きに在りしように、探偵小説より純文学の要素が強いようだ。
私のような俗物は、ルブランや乱歩のような、外連味(けれんみ)ある作品が好みだけに、いささか退屈にも思えてしまう。

この本、実は日記と一緒に出て来ました。
見事に旧仮名遣い・・・
ちなみに、この流舞蘭氏の日記も、旧仮名遣いではありましたが、現代の仮名遣いに直してあります。

森須流舞蘭氏の日記より・3

1928年9月1日

所用ありて、海岸通の大阪商船神戸支店へ行く。
今日は、あの忌まわしき関東大震災から五年。
谷崎潤一郎など、震災以降、関西に移り住む著名人も増えたが、もし、神戸にあのような震災が起これば、はたしてどうなるであろうか?
かの浅草十二階も崩壊した故、この八階建てのビルディングも危うかろう・・・

浅草十二階とは、大正時代に東京の浅草にあった展望塔(正式名称・凌雲閣)。
浅草のシンボルとしてそびえ立っていましたが、関東大震災で崩れ、解体されました。
なお、流舞蘭氏の懸念をよそに、大阪商船のビルは、阪神淡路大震災にも耐え、現在もそのモダンな姿を見せています。

森須流舞蘭氏の日記より・2

1928年4月1日

元町の第一銀行に行く。
ふと、今日の日付より、『恐ろしき四月馬鹿』でデビューした、探偵小説家の横溝正史が、かつてこの銀行に勤めていた事を思い出す。
現在は、雑誌「新青年」の編集長としての活動に比重を置いているようだが、さらなる新作を望むものである。

元町にあった、第一銀行神戸支店には、神戸出身の推理小説家で、金田一耕助シリーズの作者として知られる、横溝正史が一時期勤めていた事があります。
また、その建物は、現在外壁を残して、地下鉄の入り口になっています。
画像は、当時の雰囲気を出そうと、あえてモノクロで現在の姿を撮ってみました。

森須流舞蘭氏の日記より・1

1928年2月24日

新開地の映画館に、『特急三百哩』を見に行く。
冒頭、汽車に接近しての危険な撮影に畏れ入るが、さらに感服したのは、その後の演技である。
走る汽車の車両から車両へと、つたい移る演技は、ただただ圧巻の思いである。
だが、前半の緊迫感溢るる展開に対して、後半は淡い恋物語に傾倒す。
いささか、木に竹を接いだかのような話である。
されど、映画を活かすも殺すも、全ては活動弁士次第である。
今回の弁士は、なかなかの力量で、話の粗も気にはならなかった。
また、この弁士の名調子に聞き入りたいものである。

この映画は、私も見た事あります。
神戸の映画資料館で、無声映画を活動弁士つきで上映した事があり、私も足を運びました。

当時の新開地は、神戸の一大繁華街。
映画館や芝居小屋が並び、「東の浅草、西の新開地」と並び称されたものです。
しかし、戦後進駐軍の駐屯地になった事により復興が遅れ、娯楽の中心は次第に三宮に移って行き、今ではかつての隆盛は薄れてしまいました。
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