6日、土曜は恋人の誕生日でした。珍しく休みが取れたらしく、またその日は私もたまたま職場の新年会の日で仕事自体が休みでしたので、次の日が日曜ということも助けて、彼が長距離のドライブに連れて行ってくれました。

彼は三陸沿いをひたすら南下していくのが好きで、この度のコースはそれであったのですが、青森県からの出発ですので岩手、宮城へと横断をすることになり、それはつまり必然的に東日本大震災で津波の被害を大きく受けた被災地をも訪れることを意味していました。

海沿いですので通りかかった町々はすべて津波の被害を受けたことを前提に、それでも衝撃を受けたのは陸前高田市と南三陸町でありました。

どちらとも全くのサラ地になっていて、それらしい爪痕を残した建物が所々に寂しく残っているだけでした。5階建ての集合住宅は4階まで津波にやられていて、それを見たときは恐ろしくなりました。

私は元々あった町の景色をよく知りませんでしたから、サラ地を見ていてもイマイチ実感がわかなかったのです。しかし彼が知っていましたので、彼の説明を聞いているうちに、町は本当に壊滅していることを理解しました。

夕方、薄暗くなった頃に南三陸町に着きまして、サラ地に現在もなお鉄骨のまま残されている防災対策庁舎を目の当たりにしたのが極めつけでありました。また、至るところに散在していた仮設住宅は、被災は終わっていないことを道行く人に言葉なき言葉で教えていたように思います。

震災後、主な被災地を実際に訪れたのは今回が初めてのことでありましたが、訪れて思ったのは、こうして機会でも無ければ自ら進んで足を運ぶことは絶対に無かったであろうことでした。