Caribbean Blue

行きつけの眼科の受付に、初めて見る女性がいました。

同性でも好みの顔というものがあって、彼女がまさにそれであった。検査前も検査後もずっと受付の真ん前に座って事が済むのを待っていたんですけれども、目が合わないのを良いことに彼女の顔を見つめ続けていた私です。なぜ一度も目が合わなかったのかが不思議なほど。



この半年、涙を流して泣くということが出来なくて、スッキリしないからそれはそれで考えものだったのですが、めでたいかな先日ようやっと大泣きをすることが出来ました。

何だろう、これまで気が張り詰めていたのでしょうか。「自分がしっかりしなければならない」という縛りが常にあって、泣くに泣けなかったのだと思う。

ひとり台所で声をあげて泣きました。部屋で泣けば隣人に聞こえると思って、だから台所で。泣いていたら視界に入った炊飯器にスイッチが入っていないことに気がついて、スイッチを入れたら折角の涙は引っ込んでしまいました。

その晩は、いつになく深々とエンヤを聴きながら眠りました。私は、心が疲れたと感じた時にはいつもエンヤを聴いてきたような気がします。

初めて彼女の曲を聴いたのは12、13歳くらいの頃で、そのはじめから特に好きだったのが「カリビアン・ブルー」と「メモリー・オブ・トゥリーズ」でした。それは今でも変わりません。恐らく、この人生で最も長く聴き続けている曲ではないかと思う。

12、13歳といえば初めて「アンネの日記」を読んだ頃でもあり、そのせいで私は、当時これら曲のイメージにアンネという少女を勝手に結びつけてしまいました。そういうわけで、未だにこれら曲を聴けばアンネを連想します。

当時抱いていたイメージのまま、彼女が隠れ家の屋根裏部屋から空と町と時計台と、そして遠くの水平線を見つめて思いを馳せている、そんなイメージです。

カリビアン・ブルーを聴くと、自分の心は誰のものでもない自分のものであることを素直に実感できる。何者にも囚われることのない、また目にも映らない領域で、それは言うなればひとつアジールのようなものなのかも知れません。

女の心は海に例えられることもありますが、まったくその通りであると私は思います。実にいろんな物を沈めているし、複雑な感情を秘めているのです。

ノスタルジア

遺骨収集活動でお世話になりましたメンバーの方から、「来年の活動に向けての準備を進めていきたい」という内容の、メールならぬ手紙をいただきました。それを読んで、私はとても胸苦しくなった。

母親の闘病を境に、沖縄戦に関する追究の一切から離れていた私。大がかりな治療もひと段落して暮らしはひとまず落ち着きを取り戻しはしたんだけれども、それでも未だ沖縄戦には触れる気がしません。

真栄里を訪れたことを最後に自分にとってはもう追究する必要がなくなったのかも知れないし、或は、前世を繰り返してはならないという自制の念が心のどこかにあったりもする。この期に及んでもなお沖縄のことで母親を悩ませるのも何だか気が退けてならないのです。

NHKで第二次大戦に関わる番組が放送されていれば見るし、伊東孝一さんのインタビュー映像だけは未だ同じものを繰り返し見たりはしているんだけれども、それ以外は触れることはないです。本を開くこともない。

ただ、このたび次回の活動への意気が書かれた手紙をいただいたことで、しばし自分の中で封印していた何かが一瞬だけ解き放たれたようで、心に迷いが出てしまいました。時間を経て、ようやっと気持ちを鎮めたところであった。



私は、どこか気持ちの整理をしたいと感じたときに幼少時代の通学路を歩くことがあります。4年生に上ると同時に転校を余儀なくされましたので、それ以前の本当に幼い頃の通学路です。生まれて初めて自分ひとりで歩いた道と言っても過言ではないかも知れない。

当時住んでいた家から通った小学校までを黙々と歩くだけなのですが、これはかれこれ20年以上続いている、ひとつ習慣のようなものになっています。

先日、しばらくぶりに歩いたんです。見ないあいだに町の風景も少しずつ変わりゆく。あったものが無くなっていたり、新たに増えていたり。だけど原景と匂いは変わらないままそこにあって、すぐに私を懐かしい世界へと引き戻してくれます。

住宅街を抜けて大通りに出たところで、私は微笑ましい出来事に遭遇しました。

前輪だけが縁石から垂れ落ちている何とも不自然な状態の車が目に止まりまして。車の横に、まだ年若いであろう男性がキョロキョロしながら立ち尽くしていて、通りかかった私と目が合うなり訴えるように声をかけてきたのです。

私が「おたくの車ですか?」と尋ねると男性は否定。改めて車を見ると運転席には高齢の女性が座っていました。どこか納得できた。

立ち去ろうにもそれが出来なくなってしまったらしい何ともタイミングの悪い男性と、その男性に声をかけられて立ち去ることが出来なくなってしまった、これまたタイミングの悪い私でした。

運転者の女性が「いっそ、このまま前進してしまった方が良いのかしら?」と困った顔で尋ねてきます。このまま無理に前進すれば車体に傷が付くことを説明して、ロードサービスに相談してみることを提案していた、その時でした。

通りかかった、これまた年若い3人の男性が駆け寄ってきて、勇敢にも垂れ落ちている前身部分を力いっぱいに押し始めたのです。それに呼応するかのように通りかかった男性陣が次々に近寄ってきて、みんなでその車を助けました。

「おばあさん、僕たち押しますから、バックに切り替えてアクセルを踏んでください」

車が戻ったときは皆さん大喜び。ただただ様子を見守っていただけの私も感激の拍手。ステキな場面に出会えたようで何だか嬉しくなりました。皆さん何事も無かったように再び歩き出して。純粋に人間って良いもんだなあと思いました。

公園のベンチに腰を下ろして、かつて通っていた懐かしい小学校を眺めながら私はただただ過去を振り返っていました。

まあ振り返るほどの大した人生でもないんだけれども、あの小学校を、この公園を駆け回っていた在りし日の自分の姿をぼんやりと思い出していたら、それなりに思うことがたくさんあった。吹く風が清々しく、どこかパッとしない心に優しく触れてくれました。

実はここ最近、道ならぬ恋心に悩んでおりました。

相手は職場のだいぶ立場のある人で、私の実父とちょうど同じ年齢の既婚者。工場に似つかわしくない、大学教授のような風貌の人です。去年の春に新しく赴任してきまして、朝礼の挨拶で初めて目にした時から私はその人に惹かれていたところがありました。

単なる私の密やかな恋心で事は過ぎていく予定だったのですが、ちょっと色々とありまして、片思いではなかったかも知れないことを悟ってしまった感じです。恋人に対する罪悪感と、だけどその人のことを心から消し去ることが出来ない苦しみ。

幼い頃より母親がいないで育った恋人が、ずっと母親代わりであった祖母を亡くしたばかりで、いま特に精神的に彼を支えている状況なのですが、彼は一方的に甘えてくるばかり。私だって疲れているし、時に甘えたいことだってあるのに、私の思いはどうなるんだろう?って、何だかやり切れない気持ちで過ごしていた時に、丁度良く・・・みたいなね。

「ああ無理やりにでもキスされてみたいなあ」とか、「ああ一度でいいから強く抱きしめてもらいたい」とか、そういうことばかりが脳裏を過ったりして。

幼い頃に母親の不倫を目の当たりにして、その恐ろしさは十分に分かっているつもりです。奥さんが乗り込んできて修羅場を見せられた。奥さんから「あなたのお母さんは悪いことをしたのよ」と言われて、私も泣きながら謝って。お互い離婚。双方の家庭が崩壊して終わりました。

不倫だけは絶対にしてはならないと、子供ごころにも強く思っていました。それは今も変わらないし、勿論そんなつもりも無いですけれども、だけど、あの時の母親の気持ちが今は少しだけ分かる。好きになってしまったものはもうどうにもならなかったんですよね、きっと。

私自身は、今は何となく気持ちにも整理がついて、その人への迷いを断ち切ることが出来そうです。
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プロフィール
ギルドさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 36
地 域 青森県
系 統 普通系