*アンネの日記

中学生になった私は、間もなく1冊の本を読むことになった。「アンネの日記」である。大人になった今でも、この1冊は大切に持っている。

しかしながら、あの時この1冊を読むに至った由縁が未だに分からないのだ。以前からアンネ・フランクという少女を知っていたわけでもない。古本屋で導かれるように手に取った、ただそれだけであった。

ひとつ言えることといえば、アンネが日記を書き始めたのは13歳の頃。私が彼女の日記を読んだのも、また同じ13歳の頃であった。

このアンネという少女との出会いは、私に大きな転換をもたらすことになった。ユダヤ人とはいったい何なのか、なぜ差別を受けなければならなかったのか、そんな小さな疑問の答え探しから全ては始まった。

やがて関心はホロコースト、ナチスドイツへと広がっていくことになるが、それを語るうえで外せないのがアドルフ・ヒトラーという男であり、幼い頃に、あの担任から聞かされた話が、いよいよ活きることになった 。





*憧れと軽蔑

時を経るとともに、私は密かにドイツ軍隊に対して強い憧れを抱くようになった。洗練された特異の雰囲気と大胆な戦略の展開、何より雄々しく地を駆けていく兵士の姿に、ことのほか魅了された。

自分の中で何かがうずく様で、居ても立ってもいられなくなった。またそれは、第二次世界大戦史を学んでみたいと思った瞬間でもあった。

しかしながら、彼らから切って離すことは出来ない永久の汚点であるホロコースト問題を直視するときに、彼らに憧れを抱こうとする自分自身を恐ろしく感じ、時に野蛮とさえ思えた。

この、好きなものを好きと認めることが出来ないもどかしさ。時に、思春期も真っただ中であった。

ちょうど同じ頃に、はだしのゲンの漫画を読む機会があって、私はそこで「太平洋戦争」という言葉があることを認識した。

「太平洋戦争・・・」

どうしてか、橙色に染まった空を1機の飛行機が飛んでいく風景が頭に浮かんだ。当時、私の中には日本軍隊を軽蔑視していたところがあった。弱小の情けない軍隊であるとしか思うことが出来なかったのである。





*ハルビン

ある日、図書室で「沖縄戦」というタイトルの本が目に止まった。止まっただけで、それを手に取ることは無かった。

代わりに「ハルビンからの手紙」という本を手に取った。どうしてかハルビンが、ユダヤ人と何か関係があるような気がしたからだ。

ハルビンは、かつて満州にあった主要都市のひとつであるが、この1冊を手に取った当時の私は満州の「ま」の字さえ知らなかった頃である。当然、ハルビンという言葉も知るはずがなかった。不可思議であった。

しかし、その2つが実に関わりがあったことを後に知ることになるのである。





*苦手意識

具体的な理由も無いのに、私はアメリカと中国に対しては苦手意識を抱いていた。それは記憶の限りで中学の頃には既にあったように思う 。

同じ「苦手」でもそれぞれ事情は異なっていた。アメリカに対しては努力をしても興味を持つことすら出来ない、中国に対しては好意はあるんだけれども、どこか怖くてたまらない、というものである。  

一方でドイツに対しての憧れと関心は年々増していくばかりであった。

身に覚えの理由も無いのに、そこまでアメリカを苦手に思うことが自分でも不思議でならなかった。そして、どこか恐怖を感じてやまなかった中国。

ふとした拍子に、リアルな体感を伴う数々の風景が脳裏に浮かんでくるようになったのも丁度そのあたりからである。それは単なる想像とは異なるもので、ひとつ記憶に近いものであった。

どうしてか私はそれら風景を、行ったこともないはずの中国のものであると断定していた。見える風景には電柱が立っていたこともあって、そう遠い時代ではないことを感じていた。





*校庭

ある夏の日の放課後のことであった。私は教室の窓から、西日に照らされた校庭で、列を成して掛け声とともにランニングに励んでいる野球部員の姿をぼんやりと眺めていた。私はこの風景がとても好きであった。

そのとき、ふうっと漂ってきた草木の生い茂る匂いと、土の匂いに得体の知れない懐かしさを感じた。とても心地が良いもので、私の脳裏には自ずと、どこか昔なつかしい日本の風景が思い起こされてきた。

それは漠然としていて、何が、どの様なとか、そういった説明が付かない断片的なものであった。その心地の良い風景は、とても大切で、どこか忘れ難いものであるように感じられてならなかった。





*山形

中学卒業も近い頃に、母親の薦めで私はドラマ「おしん」を見ることになった。 これが山形県を知った最初のきっかけである 。

初めて聞く山形の方言に、言い知れぬ安らぎを感じた。 強烈な印象を受けてから、憧れを抱くようになるまでに時間はかからなかった。私は、大人になったら山形県を訪れてみたいと強く思うようになった。

まもなく私は高校に進学する。





*目標

私が通っていた高校の修学旅行では、日程が京都、大阪、沖縄を巡るものであった。私は家計の事情で修学旅行に参加をすることが出来なかった。

当時は、なぜか「天皇」という存在に強い嫌悪感を抱いていた頃で、そのつたいで日本史には馴染めずにいた。

だから京都には未練はなかった。また大阪にも未練はなかった。ひとつ沖縄には、未練を残すことになった。ひめゆりの塔に始まり、戦跡地を歩くことを分かっていたからだ。どうしてか後ろ髪を引かれるような、そんな気がした。

参加者が修学旅行に行っているあいだ、不参加者は午前中だけ自習のために登校をしなければならなかった。

他のクラスにもそれぞれ不参加者がいて、合わせれば、ひとクラス分にでもなるだろう人数であった。

親友も同じく不参加であった。私は、どこか親友に引け目を感じながらも、彼女が一緒に登校をしてくれていることに心強さを感じずにはいられなかった。

帰り道、私はツタヤでBEGINのCDをレンタルした。沖縄と言ったらこれだと、彼らの音楽が無性に聴きたくなったのだ。 そのとき私は、大人になったら必ず沖縄に行くという、ひとつ絶対に叶いそうな目標を立てた。





*疑問

日本史は嫌いであったが、世界史は好きであった。特に西洋史だ。

ヨーロッパ諸国の街並みや教会の写真に見入ったり、またそれらしい音楽を聴きながら空想に耽るのは、この上のない安らぎであった。

そんな私に、いよいよ試練とも言うべき苦難の時期が到来しようとしていた。きっかけは1つの人間関係のもつれからであったが、それはそれだけには留まらず、それまで長きに渡って自分の中で募らせていた劣等感をも刺激して、更なる精神的な落ち込みを引き起こすことになった。

ある日、急に死にたいと思うようになった。自分は劣等の塊であり、生きていても意味が無いのではないかと。

隠れてカミソリで足に傷をつけた。自傷癖はその後も、しばらく続くことになった。人はなぜ生まれて来るのか、なぜ生きなければならないのか。

劣等も優等も無い、「個人」とは一体どこにあるのか。そんな疑問が、私の中に芽吹いた瞬間であった。


青年期