プリーモ・レーヴィはホロコーストを振り返るとき、収容所の建物そのものよりも貨物列車を見たときのほうが記憶は鮮明に甦ると、学生の頃に見た、ドキュメンタリー番組の冒頭で言っていました。

現在、私の自宅は線路沿いにあって、日夜関係なく貨物列車も頻繁に通るのですが、それを目にするとき、音を聞くときは時おり彼のこの言葉を思い出すのです。

このあいだ、やめようと思いながら「戦場のピアニスト」を見てしまいました。若い頃に一度だけ見たきりであった。過去多くの、ホロコーストをテーマにした映画を見てきましたが、自分の中ではこの作品がいちばん印象に残っていました。




今年はひとことで心機一転の一年でした。

実父が還暦を迎えて、何となく人生の節目を経たことが一つ。残すところ3ヶ月で術後5年を迎えようとしている母親が、先日の定期検査でも異常は見られず、まだ完全ではないですが何となく気持ちを新たにしているところが一つ。

自身も新しい環境に身を置くことになって奮闘の渦中にあることが一つと、またそれに伴って親友との交流が再始動したことが一つです。

今年もまた感慨深い一年でした。

今年に入ってから、ユーチューブの「大愚和尚の一問一答」というチャンネルをちょくちょく視聴するようになって、仕事のことであったり、家族のことであったり、自己内面のことであったりと、すごく指針になるような話を多く聞かせてもらっています。

その中の一つに「親友は必要か」という小題の動画があるのですが、親友を持つか持たないかは人それぞれの考え方の域だから良いも悪いも何とも言えないところだとして、その中で和尚さんは、親子関係も含めた全ての人間関係には利害が存在すると言いました。

一見「当たり前じゃん」と思ってしまったんだけど、話の中身がとても深く、自分は分かっていたようで実は分かっていなかったかも知れないと、考えが改まりました。

私には上手く説明ができないのだけど、簡単に言えば「ほかの人に利を与えられる人間になることが最終的には自身が利を得ることに繋がる」という話でした。

仏教用語に無財の七施(むざいのななせん)というものがあるらしく、そのことについて教えてくださいました。やさしい眼差し、やさしい声かけ、席を譲ることでも良いし、お金や物を持っていなくても、この身ひとつで相手に与えることができる利のことを言うのだそうです。

自分のこれまでの歩みや態度はどうだったか、ちょっと振り返ったりしてね・・・。

家族に対しては、まあ家族だし、困っていたら助けるのが当たり前だと思ってやってきたから利害に悩むことがなければ考えたこともなかったんだけど、では旦那さんだったり、同僚だったり、友人らに対してはどうだったかと問われれば、与えた利に対してどこか対価を求めていたところがあったことを認める。それゆえに消化しきれないものがあって悩むこともあったのだから。

もちろん全ての場面においてそうだったわけではないですが、人間だし、数ある中にはそんな時もありましたよね。

だけど今回この和尚さんの話を聞いて、どこか心が救われたような気がしました。利は自分が得るものではなくて人に与えるものだったのかと、納得できたうえで考え方が少し変わったかな。いや、変えたいと思ったと表現したほうが正しいかも。

何より、まず自身も常づね誰かから利を与えられている、助けられているという事実に気づくことが前提なんだと思いますね(笑)




今年も一年、ブログを読んでくださった読者さまに感謝いたします。

来年は卯年で私は年女になってしまいますが、どうあれ心穏やかに過ごしたいと願っています。心穏やかに過ごすことほど難しいものはないと思っているので。

それでは皆さん、良いお年を。