この一週間のうちで、立て続けに2つの不運な出来事に見舞われることとなりました。どちらとも職場での出来事で、ひとつは機械に右手を挟めてしまい中指の付け根部分に打撲を患ってしまったこと。もうひとつは車同士の衝突事故であります。

前者は自分単独の不注意に因るものでした。少し位置とタイミングが違っていたら打撲だけでは済まなかったであろう危機一髪のところであった。数日経ちますが未だにギンギンと痛みます。日を増すごとに痛みも増しているようにさえ思える。

後者は終業時の駐車場での出来事で、停車しているところに相手がよそ見をしていて突っ込んできたものでした。私が出ようとしたときに相手が入って来ようとしたんですね。駐車場は出入り口が一カ所しか無く、ロータリー式でもなければ、わりと狭いんです。

私はとりあえず一旦停車をして相手の様子を見ていたのですが、相手はよそ見をしているから私の車に気がつかない。来るぞ来るぞと見守っていたら、案の定そのまま突っ込んできました。

よそ見をしていて突っ込んでしまうのは、何を隠そうドライバーになりたての初心者時代に自分もやらかしてしまった事がありましたので、自分のことを棚に上げて偉そうに人を責めたりはしません。ただ、この帰宅ラッシュの時刻と、この駐車場の構造を見てくれよと思いました。

第一駐車場と第二駐車場がありまして、事故現場が第一で、相手は普段は第二を利用している人でありました。帰りに何か渡し物の約束があったとかで第一駐車場に来たらしいんですけれど、そんな用事は駐車場の外でやるのが普通ではないのかと。

まあ、こういう経緯の事故でして、今回は相手が100悪いから修理代は相手が全額を負担することで話は一件落着。

となるはずでしたが、話はここでは終わらない。この事故の相手というのが、私が長いあいだ世話になっている車屋に悪縁を持った人であったのです。車屋の兄ちゃんの話によれば、支払いを踏み倒した挙句に逃げ回っている人なんですって。

なんだか私にも覚えがあるなあ、そういう人…

車屋の兄ちゃんは、一時は職場に乗り込んででも支払いを要求しようとしたそうなのですが、慈悲深い店長がそれで自殺なんかされたら店の信用問題にも関わるというので追い込みを止めて話は保留になったんだとか。結局は逃げたもん勝ちってやつですね。

とりあえず事故の、というより職場の同僚とも言えるその相手には「車屋の兄ちゃんが呼んでいるから仕事の帰りに一緒に車屋に行こう」と伝えましたが、相手はかなり歪んだ顔をしていましたし、結局は来ませんでした。車屋の兄ちゃんも「人ってね、所詮そういうもんだよ」と言って笑ってましたけれど。

車屋の兄ちゃんには、毎度の愛車のメンテナンスの他にも、過去に未払い君の一件でも大変お世話になりました。

未払い君というのは私のイトコ兄のことでして、過去に安易に名義を貸してローンを組んでしまい、最後は20万ばかりを踏み倒されて逃げられたんです。車屋の兄ちゃんには、そのイトコ兄を見つけ出して車を取り上げてもらったりなどしてお世話になりました。

だから今回の一件でうまく事が運んだら、あの時の借りを返すことが出来るのになあと密かに思っているのですが、なにせ相手は逃げ隠れ、店長も既に諦めているのですから、悔しいですが多分どうにもならないでしょう。

ただ、ひとつ言えること。天は人の行いをしっかりと見ているのだと思います。だから今回のような偶然に偶然が重なったような奇妙な出来事が起こるのです。人のふり見て我がふり直せではありませんが、彼らを教訓として自分は正直に生きようと思いました。

まあでも、逆に自分の行動と言葉に完璧に責任を持って生きている大人というのも、そう滅多にいるものではありません。あ、今のところ一人だけそんな人間を見たことがあります、義理の父だろうか。人生最大の師匠だと思っています。義理の父については、また日を改めて書きたいと思う。

それにしても、今回の事故といい、また右手の怪我といい、どちらとも大事には至らずに済みました。車だって、うまい具合にナンバープレート部分に当たってくれたから一見すればナンバープレートが凹んだだけにしか見えないのです。改めて見れば周辺に傷と更なる凹みを確認できますが。

先に書いていた、ドライバーになりたての初心者時代に自ら起こした追突事故だって、相手の車に少し傷がついた程度で大きな凹みも無く、それこそ自分の車もナンバープレートが凹んだだけで済みました。修理費用も総額2万円程度であったかな。

他にも低すぎて見えにくい実家の塀に追突してしまったことが3回くらいあったのですが、すべてナンバープレートが凹んだだけで済みました。ここまでくればナンバープレートが可哀想になってきますよね。そして今回の事故ときた、もし自分がナンバープレートなら「またか、もういい加減にしてくれないか」と思うだろう。

単純に、何か目に見えないものに守られているのだと改めて実感しています。不運な出来事が起きたから悲しいのではなくて、起きたけれども大事には至らなかったことに感謝をしています。

私は、普段は事あるごとに酷くネガティブなのですが、いざ何か起きたときに自分でも信じられないくらいにポジティブに転換するのです。矛盾していますね。自分でも不思議で笑えるのです。



現在、ここ最近の自分には珍しく時代劇ではないドラマを見ております。「きょうは会社休みます」です。

最近まで「ボルジア家」「クイーンズ長安・後宮の乱」「花たちの戦い・宮廷残酷史」を立て続けに見ておりました。すべて血みどろの権力闘争ものでしたから、ちょっと気持ちが疲れてしまいまして。

特に「ボルジア家」は生々しい殺戮の場面があまりに多く、とにかく血生臭すぎて一時は途中で見るのを断念しそうにもなりましたけれど、しかしルクレツィアが美しく、また登場する女性陣のエロさも半端ではありませんでしたので、ちょっと男目線で見るのを止められませんでした。

ああ、いいね、いいよと見ていたら、あっという間にファイナルシーズンまで。美しい女というのは同じ女から見ても美しいんですね。ましてや男から見たらもう、この世の果てみたいな感じにでもなるのだろうか。