幸楽苑でジャン・ペイジにそっくりな人を見かけて、しばらく釘付けになってしまいました。「抱かれてみたいなあ」って思いました。「添い寝だけでもいいから」って。頭の中ではブリジャートン家さながら、あんなことやそんなことの妄想の嵐でしたよ。まさに幸楽でした。

隣りを見ると、眉間にシワを寄せながらスマホをピコピコといじっている旦那・・・。もう溜息しか出ません。まあ向こうもきっと同じなんだろうけど。なんか、昔から吉岡里帆が好きだって言ってますね(笑)




親友が結婚しました。

私が人生初の海外旅行に行けたことよりも大事件であります。

婚活サイトで知り合って、交際期間わずか2ヶ月という驚愕のスピード婚でした。自身は結婚するまでに8年半もかかったので、どうしてもそれと比較してしまい、正直なんだかな・・・という思いもないわけではありません。

そういえばイトコ姉も交際半年くらいで結婚したんですよ。その時も、ちょっとモヤモヤしましたね・・・。

このことを旦那に嘆いたら「じゃあまた誰かと出会い直して2ヶ月で結婚すればいいだろ」って返ってきました。

はあ・・・

しかしながら、何はともあれようやく親友も結婚できたことは素直に嬉しいし、安堵しているところはあります。ここだけの話、彼女、触れた男性の数はけっこう多かったんですよ。自身も少なかったとは言わないけれども、彼女はずっと上を行っていました。

だけど皆さんなかなか将来に繋がらなくて、彼女はいっそう不安定になっていくし、私も自分のことだけでも精一杯で、それでもってメールの山でしたから、それを泣きっツラで読んだり、怒りの矛先に困ってスマホを床に投げつけたりとかして、お互い見えないところで本当に大変だったんですよね。

私がようやく結婚できたところで、彼女も結婚に対する意欲を改めて燃え滾らせまして、だけど自分ではもう上手く探せる気がしないというので、「ならば婚活サイトはどうだ?」と提案をしました。

はじめは「詐欺とかに遭ったらどうしよう?」とか不安に渋っていたけれども、とりあえずやってみろと、最初の設定とかプロフィールの文章を考えたりなど始めだけ手伝って、あとは本人に任せたのでした。

そしたらびっくり、2ヶ月で結婚だってよ・・・

彼女の両親もこれで安心できたと思います。お盆中、久しぶりに彼女の母親に会ったら、だいぶ年を取ったなという印象を受けました。

これまで色々と大変だったけど、彼女からラインで「ありがとう」という言葉とともに送られてきた、旦那さんと仲睦まじく婚姻届けを広げて持っている写真を見たら、私はどこか、ひとつ自分の役目を終えた気がしたのでした。

自身がいちばん苦しかったときに、変わらず傍にいてくれた人だったということもあって、あとに彼女に寄り添うのは自分の責務だと思っていたところもありました。

ここから先は、彼女のことはある程度は旦那さんにお任せすることになると思うので、私は、ちょっと変な言い方かも知れないけど隠居みたいな感じになるのかな・・・。それもそれでちょっと寂しい気もするけど、これが大人の友情の在り方なんだろうなあと思いますね。




以前から気になっていた映画「わたしの魔境」を視聴しました。

オウム真理教に関しては私も個人的にたいへん興味があるところでしたので知識は備えているつもりです。宗教団体って結局のところ何なんだろう?って、改めて考えさせられました。心の拠り所にもなりえるし、悪の巣窟にもなりえる。

今だから言うんだけど、私が過去に入っていたのは創価学会だったんですよ。最近、池田名誉会長が亡くなられたというニュースを見て、さすがに絶句してしまった場面もありました。

私が妄信的に活動をしていたのは二十代前半の頃で、会合にも真面目に参加していたし、選挙活動にも微力ながら関わっていた時期もありました。

今振り返っても、創価学会は教義自体も全く間違っていないと思うし、オウム真理教のような危ない組織だとも決して思っていません。ただ、学会員の中には過激な発言をする人たちもやっぱりいまして、組織というよりも、その発言に不信感を抱くようになって、次第に組織自体に嫌気がさしていった感じでした。

二十代初め頃に、当時交際をしていた男性とのあいだに望まない妊娠をしてしまい、これを機に入籍をするのか、あるいは中絶をして別れるのかで相手方と争いになったんです。相手がよりによって創価学会を目の敵にしていた人で、かたや私は妄信的に学会にのめり込んでいたので脱会なんて考えられませんでした。

だけど中絶にも踏み切れず、争って、泣いて寝込んでいるあいだに流産してしまったんですね・・・。流産した日が12月1日だったこともあり、つい昨日もそうだったんだけど、毎年この日になると気持ちが沈むのです。

女性にとって流産したときの悲しみって耐えられないものですよ。それが望んだ妊娠であっても、そうでなくても。

創価学会が直接どうこうというよりは、宗教にのめり込んでいた自分を恨んでいました。