11月1日に入籍いたしました。実に交際期間8年弱。本当に長く、険しい道のりでした。

良い思い出もたくさんあったけれど、慢性的な空しさと、やり切れなさのほうが半分以上を占めていて、自分にとってはあまり思い出したくない8年弱です。幸い、私には気を逸らす要素がいくつかあったから、それで何とか乗り切れたようなものでした。

途中、何度も彼から離れようとしたこともありましたが、ついにそれは出来なかった。

婚姻届けを提出したあとは脱力して泣けてきました。嬉しいとかいうよりも、まじで長い闘いだったなあ、みたいな。ほんと自分にお疲れさん状態でした。

周囲の人たちも安堵した様子であった。中には涙を流して喜んでくれた人もいました。皆さん揃って「ようやく」「ついに」という感情が顔に滲み出ていました。いつ結婚するのかと、ずっと問われ続けていましたから。

ちなみに、弟夫婦が入籍をしたのも偶然にも同じ11月1日であったらしい。どういう因果か、姉弟そろって同じ日に結婚したというわけだ。

私ははじめ、ベルリンの壁が崩壊した記念日である9日に入籍しようと提案していたのですが、彼からの「ベルリンと俺たち関係ないじゃん」と、また母親からの「ベルリンがお前に何をしてくれたんだ?」との二言で、結局断念したのでした。

彼の心の中の頑丈な壁が崩壊して未来に繋がったことに因みまして、私なりに、私らしく考えたことだったのですけどね。




母親とは幼い頃に離別し、父親とは学生の頃に死別し、父方の祖父母が親代わりとなって旦那さん(以降こう呼ぶ)を育てました。この8年のあいだに、親代わりでもあった祖父母を亡くして、また仕事も相変わらず多忙なところで、かねてより患っていた鬱病が悪化して4カ月休職するに至った経緯があります。

結婚どころではないという雰囲気の中で、それでも私は出来るかぎり彼を抱っこするよう努めてきました。彼には何より抱っこが必要であると常々感じていたからです。

自身、幼い頃に家庭内不和から自律神経を患いしばらく心療内科に通っていたことがあって、そのときカウンセラーは悩んでいた母親に「とにかく抱っこしてあげてください」と助言したそうなのです。それから母親は私を抱っこし続けました。

その経験から、なにか感覚として掴めるものがあったというか、とにかく抱っこを通して愛情を伝え続けたのでした。だからかどうかは分かりませんけれど、以降、旦那さんもどこか私の話を素直に聞いてくれるようになった印象でした。

私たちが出会ったのは2013年の春頃。その前に交際をしていた男性が人からの紹介で、いろいろ筒抜けで、二度と人を介しての出会いはごめんだと思い、思い切ってちょっと緩めのお見合いサイトに登録したところで出会った人でした。

現在でも変わらずですが、旦那さんは枕元に会社四季報を置いて寝ているくらい株の投資が趣味の人ですから、出会った当初から株の話を聞かされ続け、正直「なんか変な人と出会ってしまった」という印象であった。

だけど、話しているとどこか説得力がある人で、間もなく実家を出て一人暮らしを始めた私をいろいろとサポートしてくれるようになり、人柄を妄信するようになってから、つまりはこの長い闘いが始まったのでありました。

あの・・・「おかえりモネ」に出ていた菅波先生にどこか雰囲気が似ている人です。




入籍は果たしましたが、引越しは来年になりそうです。

今しばらくは昔ドラマにもあった週末婚みたいな感じになりそう。ガキだったけど見てたなあ、あのドラマ。あのドラマで初めて阿部寛を知ったのだ(笑)

引っ越せば、生まれ育ったこの市からは出ることになります。以降はここ市民ではなく、どこかの町民になる予定です。この引越し先というのが、また自分にとって非常に不思議なエピソードを持つところであるのですが、その話はまた、実に引っ越しを果たしたときに改めて書こうと思います。

というわけで以上、結婚のご報告でした。