先日、恋人と尾去沢鉱山跡に行って参りました。長くは1300年の歴史を持ち、最盛期には主力銅山の一つとして日本の経済に大きく貢献していたそうです。

変な話、坑内のあの、男たちの汗が染みついている感じが私にはたまりませんでした。それにここは戦跡地ではないから、ありのまま素直に興奮できたところも良かったです。沖縄の陣地壕ではそうはいきませんでしたので。

外は30度を越える真夏日であったのに対し、坑内はまさかの13度で、温度差に体がついていかなかったところが一つ難点でありました。

当時、この鉱山で実に労働に従事していた人たちが、またその家族が、今もこの地の周辺で暮らしている可能性だってあるわけですけれど、はたして彼らの目にはこの場所はどう映っているのでしょうか。



母親が復職しました。これまで勤めていたところは辞めまして、新しい職場で働いています。

退職に際し、ロッカーの荷物の整理には私も同行しまして。初めて潜入した、かつての母親の職場でした。

水産工場でしたが、建物は昭和43年の建築だそうだからもうだいぶ古く、それはそれは時代を感じました。全体的に荒んでいるというのか錆びているというのか、床は平行感に欠けていたし、窓は押せば外れそうで、ところどころ雨漏りでもしていたのか洗面器が置かれていました。

私の勝手な先入観かも知れないが、更衣室を見ただけで凄まじい職場であったことが容易に想像できました。水産加工ですし、業務内容も重労働なら、浜の町ということもあって人間もだいぶキツかったと思うんですよ。

母親はかれこれ22年勤めたんですけれども、入社当時は昔堅気な先代たちもまだまだ元気な時代で、「パワハラ」という言葉も存在していなければ、社会的にもそういった概念や意識自体が薄い頃であったと思います。

私自身も、水産ではないですが食品製造工場に勤めているので雰囲気が何となく分かるところがあって。それこそ入社当時は、おっかないババ様がたくさんおりました。半分以上それらが占めている感じ。面と向かって叫ぶし罵るし、そこはまるで猿山で、会社に行くのが怖い毎日であった。

皆さん仲良く定年退職をして居なくなったけれども・・・。

水産工場なら尚更、きっとそれ以上に凄まじかったに違いない。中卒で、これといった資格も持っておらず、シングルマザーだったし、少しでも時給が高いところを探すなら水産工場しかなかったのが現実だったのではないでしょうか。

古びた更衣室でロッカーの整理を手伝っているあいだ、なぜか「ヨイトマケの唄」が脳裏をチラついたりして。歌詞もメロディーもよく覚えていないが、何かそういう曲だったっけなあ?みたいな。



最近になって、ようやく耳飾りというものを付けるようになりました。耳に穴を空ける気はないので、なんちゃってピアスですが。

若い頃にもっとオシャレを楽しんでおけば良かったと、今になってちょっぴり後悔しています。10代、20代は違うことに熱心で、オシャレにはあまり関心がありませんでした。内面は半分男でしたし。それに何というか、特に飾らなくとも美しい自然体の女性が好きというのもあって。

けれども、女性が耳飾りを付けるのは古代より、いやそれよりも以前の太古の昔から既にあった文化で、それを想像したら自分も付けてみたくなったわけ(笑)

写真は尾去沢に行ったときに天然石堀りで採った石ですが、こういう石を、昔から、そして今も変わらずに女性たちは身につけているんですよね。