映画「ハクソー・リッジ」を見てきました。私は、端からこの映画を映画として見ていません。だから面白いか否かの感想の問題ではないことを前提に書いています。

上映開始の前日に、遺骨収集活動でお世話になりました先輩から連絡がありまして、そこで初めてこの映画の存在を知りました。でなければ、たぶん知らないままであった。

その先輩には、ほかにも山形歩兵第三十二連隊の資料を提供していただいたりなど何かとお世話になっております。私が沖縄戦を学んでいくうえで欠くことの出来ない、重要な人物といっても過言ではありません。

この映画は、前田高地(ハクソーリッジ)の戦いが主題です。

一部資料からの引用となりますが、この前田高地は、日本軍陣地を見下ろした首里防衛線の最重要拠点であり、この場所が敵の手に落ちることになれば首里防衛線の一角は崩れることになるわけで、そうなれば軍全体の戦局にも大きな打撃を与える恐れがありました。

映画では、米軍側がこの場所を6回攻めて6回失脚したとあり、それが事実かどうかは分からないにしても、この戦いにおいては日本軍側の抵抗も粘り強く凄まじいものであったと資料には書かれている。兵力、火力ともに米軍に圧倒的に劣っていた日本軍がどこまで抵抗できたのかは、これからの追究で見ていきたい。

山形歩兵第三十二連隊も当時この前田高地の戦いに参加していたのですが、丁度と言ってしまえば言葉は悪いが、丁度この前田高地の戦いのところで自身の勉強の手も滞っていたんです。部隊の動きが複雑すぎるのと、それ以上に戦況図を理解するのに気持ちが折れる。

まあ、どのみち容易く理解できるものではないし、英霊たちだって容易く理解などされてたまるかと思っているかも知れません。

映画そのものは血なまぐさ過ぎて何とも名状し難いものでありましたが、主人公である米兵の勇敢なる行動はさることながら、いよいよ敵の手が迫る中で最期に切腹を遂げた日本兵の姿にも圧倒されましたね。これが日本人であったのだ、と。

敵同士と言えど、故郷に大切なものを残して戦場に行かなければならなかった立場は対等である。今回この映画が、それを教えてくれたような気がしました。

ただ、途中に何度かラブシーンもあったんですよ。観客が私以外は中年の男性ばかりだったものですから、このシーンだけは、この場所では見たくないなあと思いました。



リアルな戦争映画を見たのは久しぶりのような気がします。

二十歳前後の頃は独ソ戦ものを好んで見ていました。そんな私を母親は快く思わず、よく否定的なことも言われたりしましたが、けれども私はべつに血なまぐさいものを見たいのではなくて、戦う兵士の姿が好きなのだと言い続けていました。

それは自分でも紛れもない本心である思っていた。けれどもある日「カティンの森」という映画を見て、どうしてか自分という人間が嫌になりまして。こんな自分が気持ち悪いなあって。

地を駆ける兵士の姿に魅了され、憧れていたのは事実です。今も憧れています。しかし、当時の私は好奇心から見ていたところもあったのです。それに待ったをかけたのがこの映画であり、それは自己の中に潜むおぞましい闇をも露呈させることになってしまった。

「カティンの森」には戦闘場面が・・・たしか出て来なかったような気がする。一方的に殺戮を行う話です。それゆえに何かに気づいてしまったのかも知れない。それから一年弱は、ましてやホロコーストなんて論外であると、それらしい本を読むのも嫌になり一切戦争関連には触れなかった時期がありました。

間もなくとあるきっかけから、いよいよ旧日本帝国陸軍に関心を持ちはじめ、以降はそれらを題材にした映画を徐々に見るようにはなりましたけれども、それはあくまでも兵士の心と、また軍組織そのものに触れたいだけであって、血なまぐさい場面になれば目を覆うようにした。

今思えば、あれは一つの転換にして、きっかけであったのではないかと。どこか私を変えてくれた大切なきっかけであったのです。