と、一度でいいから言ってみたいものですが、悩みが無い人生というのも、それはそれで退屈だと思うのです。

というより案外、悩むこと自体が好きなのかも知れない自分。これはどこか新しい発想で、いま何かに悩んでいる自分が凄く嬉しい。この気持ちは何なのだろう。やはり冗談ではなくマゾヒスト傾向にあるのだろうか。

帰り道、信号待ちをしていたところで不意に横を向いたらば、商店の窓ガラスに「世界一周船の旅」と大きく書かれたポスターが貼ってありました。それをボーっと見ていたら何だか途方もなく空しくなってしまったのです。

その後でスーパーに行ったんですけれど、とにかく野菜が高値で、少しでも安いものを探して歩いている自分が、まあ何とも情けなく思えました。「わたし何やってるんだろう?」と。

かれこれ、ここ2年近く旅行という旅行に行っておりません。いや自分の場合、これまでも楽しみに行くようなものではなかったから、そもそも「旅行」と呼べるのかどうかも分からないのですが。

自分の中で色々と思うことがありまして、あと一年と数カ月は一人旅は自粛します。3年好き放題をしたから、3年我慢をしているのです。



さて、私は今年に入ってから何故か無性に瀬戸内海に行きたくて仕方がないのでありますが、不思議に思って追及をしていたところ、いささか気になったことがありました。

ここで回りくどいことを長々と説明をしたところでアレだから、長い付き合いの読者様に端的に話の続きを伝えることとして、愛媛歩兵第22連隊という部隊が、山形歩兵第32連隊と深い関わりを持っているのです。同じく満州から沖縄へ、最後は同じ真栄里で倒れた部隊であります。

資料では、この愛媛歩兵第22連隊が中央に、左に山形歩兵第32連隊、右に北海道歩兵第89連隊の位置づけで作戦に参加していたと書かれています。部隊については調べれば調べるだけ複雑で迷宮入りしていくのですが、この3つの部隊から第24師団が構成されていたとのこと。

遺骨収集活動に参加をしたときに、糸州の壕(現地の言葉でウッカーガマ)に入ったのですが、この24師団が野戦病院として使用していた壕であったことを後から知りまして、大変に驚いた次第です。はじめから行く運命にあったのだと強く感じました。

愛媛県がどこにあるのか日本地図を見てみたら、四国で、ちょうど瀬戸内海に接している県でありました。ようやく答えが見つかったような気がしています。今回も単なる気まぐれではなかったようです。魂の旅は、まだしばらく続くことと思います。



先日、映画「日本のいちばん長い日」を観てきました。最後まで緊張が解かれず、人と人の信念がぶつかり合う様が濃厚に描かれた傑作であるという印象を強く受けました。本木さん、役所さんは私の中では文句なしのハマり役でありましたが、そんな中でも今回、特に松坂さんの迫真の演技力にことのほか圧倒されたのです。

家を出る間際までは「テッド2」と「進撃の巨人」との間でも心が揺れていたのですが、よくよく想像をしまして、一人で進撃の巨人を観るのも何だか面白くなさそうな気がしたから断念。

テッド2も吹替で観る気にはなれなくて、かと言って映画館で字幕となれば、つい字幕よりも風景のほうに目が行ってしまう自分ですから、海外ものは自由に巻き戻しが出来る自宅観賞でなければ駄目であると悟って断念しました。



もし、もっと早くに戦争が終結していたら原爆を投下されることもなかったし、都心地方の空襲も、疎開船の沈没もなかったと思うのです。もしかしたら沖縄だって戦火に巻き込まれるようなこともなかったかも分からない。もっと早くに戦争が終結していたら、あのときに絶命している多くの人間が未だ元気に生きていました。

もし、あのとき日本側が受諾を拒否して戦争を続行させ、本土決戦にまで突き進んでいたとしたら、この国はどうなっていたのだろう。また仮に戦争に勝利していたら、やはりアメリカのように未だどこかと戦争をしていたのだろうか。

中国が戦争勝利を祝うパレードを大々的に開催して世界を轟かせました。ニュースを見ていて凄く惨めな気持ちになりましたし、やればどんだのよ?(だから、どうした?)と映像を見ていて思いました。

しかし、日本も中国に対して散々と凄惨な行為をしてきたのもまた事実ですから、犠牲者と、その遺族の無念を思えば、それもまたやりきれない気持ちになります。

次回は「野火」を観に行こうと思っているのですが、なんだか、どこか観たくないと思っている自分もいるのです。 凄く惨めですからね。可哀想で。