「綺麗な顔が更に男前になってますね」
 お疲れさまでした、と平素の笑顔で金田が近寄って来る。袂を探っていた手を出すと、氷嚢が握られていた。衝撃を与えると冷えはじめるタイプのそれをハンカチに包んで差し出される。いつ用意したのかは知らないが、受け取ると既に、充分な冷たさだった。
 人混みを抜けてきた医療スタッフ――なぜか金田より到着が遅い――の手当てを辞退して、熱を持った頬に氷嚢を当てる。今の仕合での負傷は、精々が口の中を切ったくらいだ。
「どうだった?」
 金田に尋ねてみる。
「不安定な地面での重心移動は参考になりました」
 いけしゃあしゃあと返してきた。いつも思うが、ねぎらったり、そういうことをあんまりしない。慣れ合うようなやりとりがしたいわけじゃないからいいのだけれども。
 今日の会場は拳願会所有のプライベートビーチ、その砂浜の真っただ中。真夜中のベタ凪と対照的な熱狂は、仕合中のそれと比べれば流石に落ちついてはいるものの、未だ冷めやらぬ。
 その衆人環視の名残の視線をまばらに向けられながら、金田はやわらかい砂の上を草履でスタスタ歩く。“参考”にする必要があるのか? と問い詰めてやりたくなるくらいだ。
「あと、氷室さんのおかげで少し懐が潤いました」
「どういう意味だ?」
 唐突な金田の物言いに、心当たりはなかった。半歩先回りして顔を覗き込む。仕合の場から割合離れたここでは松明の灯りも遠い。
 その薄灯りにぼんやり照らされた金田は、にやにやと笑っている。さらに顔を近づけると、俺の影が金田のにやけ面にかかり、帽子の庇の影と同化した。
「氷室さんが勝つ方に賭けました」
「……恋人が血まみれになってるときに、お前なぁ」
「血まみれって、今日は口の中だけでしょう」
「むしられた相手が可哀想だ」
「『氷室涼の仕合を見てる和服のおかっぱ頭』を知らずに賭けをふっかけたのが運の尽きです」
「物知らずの相手が悪いって?」
「ええ。美味しい思いをさせてもらいました」
 悪びれずに言っている金田の帽子を外してやった。
「不味い思いもしろ」
 そして深いキスをして、血の混じった唾液を送り込む。
「まずいですねえ。というか鉄臭いです」
 金田は言葉ほどには嫌がっていないようで、上機嫌に唇を舐めた。
(了)