ここからが私の踏ん張りどころ、と意気込んではみたもののやはり、さみしさは孤独と手を取って私の日常を冷ましてしまう、そんな低温な毎日に溶け込んではいとも簡単に時間を乗り越えてしまうのだろうな、と日々考えを巡らせております。小野寺です。




会えない日々、とか女々しくも考えてしまう彼ですら、日常から消えてしまうと頭の片隅に放ってしまうんだなと実感してしまう。そんな安易なモノだったかしら?あの日の涙はそんな軽い感情ではなったハズなのに。今ではどんな悲劇でさえ、作り笑顔で受け流せるんじゃないか。そんな心境でございます。




さて季節はとうに超えて冬がやってまいりました。この地に上がって早4年。私は何か一つでも成長できているのだろうか。体は後退しつつ、考えや感情はあのころの自分よりは厚みを持つことができているのだろうか。それはなんとも問いただし難い人生をかけた課題なのだろうと思います。



2年後の私計画を考えるのは楽しい。それはきっと遠い未来の私を創造して想像してしまっているのだからだろうと自覚してなお、これはこうであって、これはこうなるハズだと胸を高鳴らせているのです。すこしでもそこに近づけるように、できることなら毎日思い続けたい、そう強く願うのです。




こんなに怠け者の私でも働ける唯一の理由は海を越えてあの地にあります故、私は近くにいなくなった安心感を求めて、ハングリー精神に火をともし、いつかの自分に恋い焦がれながら、もがくのです。





今日という日はこんなに素晴らしい。私にいらなかった日など、一日たりともなかったのだ。今なら大口を開いてそう言える。ありがとう、関係者諸君。私の記憶に住むあなたたち。自問自答の苦しい日々でさえ愛おしい。






さあ、今日の私をどうして愛でようか。