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時としてそれは催促




人間の甘えという甘えを目の当たりにして、あぁ嘸かし、と口元を隠してはクスリと笑う。そうやって見下して、いずれは何処の天辺から人々を見下ろすことか、小野寺です。




わたしが気を遣ってしまう、そんな空間を作り出す彼らを、わたしはどう許せば良いのだろうか。小さい痛みや感情を曝け出しては同情を誘う。一体この際どうなってほしいのだ?理解に苦しみます。



どうして私だけ?そういった疑問詞が大嫌いな私に振りかけるたくさんの甘えを受け取るたびに、私の中で何かが潰れて行く。だんだんと黒く汚れて行く私を誰が認めてくれようか。




菩薩。すべてのことに無感情。無関心。それはある一種の恐怖に感じます。南無。




どこまで持つか、この良心。







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