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我が春先はすぐそこに




今日は良き朝、昨日までの隣の温度は無いけれど、健やかな晴天に包まれた起床はいつにも増して高まるものがありました。



ほんとうにシアワセだと感じているのならば、それはこの上無い贅沢なんだと身に染みて実感致します。この極上をないがしろにしたり、有り余らせてしまったり、もういらないと突き放すような事が何故できようか?それこそ富があり余っているとしか言いようの無い。




手に触れればそれはそれはあたたかな体温を頂きました。それはまだ私の中に残っていて、これからちょいとばかし内側から私を支えてくれる。だから私は二本の足で此処に立っていられるんだろうな。と、なんとも今のシアワセを奥歯ですり潰しては後味を嗜んでいるのです。




これからたとえどんな変化に見舞われようとも、それは私をきっと強くしてくれる。人生なんて、と投げやってしまうくらいに複雑なもんじゃない。きっとシアワセだと思えて仕舞えばどんなことだってきっと単純明快でこれこそはっきり見えているんだろう。




やりたいことがないんじゃないよ。1つのことに没頭出来ないんだごめんね。でもやることすべて楽しんでいるから、そこはどうか目を瞑っていてほしい。それこそが私のほんとうだから。





その時を生きていける私はきっと強い。とまぁ、改めての自画自賛をモットーに私はまた今日を力強く、そしてなんとも楽観的に生きていけるのでございましょう。





いってきます私のすべて。






鼓膜閉じてくちひらく



冷却された外の空気は部屋の空気と大して変わらず、それは氷河期の到来ともとれる現象でありました。天才は何を思う、小野寺でございます。




いつかの日々を遠目にダイジェスト再生させておきながら毎日を流しておりました乗り越えるべき今週を、いとも容易にやってのけたのです。これでしばらくは楽しみを食べてやっていけそうだ。



しかしどうでしょう。前に進むにはまだあまりにも用意不足。つかむ藁もないままに泳ぎ続けては、いずれ息継ぎさえも出来ずに沈んでしまうのでしょうか。それだけは勘弁。やりたいことをその時その時、とか生ぬるいことばかり言ってられません。




少しづつ前に、進めているではないか。まだ形が見えないからくる不安に食べられてしまっては、掴めるはずのチャンスでさえ取り逃がしてしまう。私は私を動かすのだ。コントロールして頂けるかしら。




寒さに両手が凍ってしまっても、捗る夢の作り方をだれかご教授願いたい。私ばかりが探らなければならない義務などないというのに。私はいつだって誰かのために犠牲を持ち越し、苦労を立て掛け、不満をぶちまけてしまえるのだ。こればっかりは長年積み上げてきたことであるからにして、なかなか崩れてはくれない。




さらに色を増してきた最近の想像は、まるで私の手に負えないとでもいうように膨らみ続けては私の現実を支配し始めている。手始めに、人格の三分割が私を内側から支えている事実も、そこに直結してしまう。




とりあえず、とかの調味料で私は私の好きな話をする。二度とその話題をテーブルにあげることなく可燃物とともにゴミ出ししてしまうのです。




待ち遠しいあの人もあの人もあの街も。





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