今宵私は私に戻りました。自我を取り戻した私はかつてない程の活力を持て余しております、小野寺兼島袋です。




時は流るるものだと、ごく当たり前のことを誰かが吐いていたのですが、当たり前とは本当に何処にでも存在していて、そしてどこにも実在はしないのです。昨日までの私は死にました。それは最早今に始まったことではないのであります。



すぐそこにある事実が明るみに出た時、それが私の出港の日。涙こそ出はしないが、何か感銘を受けることがありました。私は私になったのだと、今はそう実感するばかりです。



さて、一昨日から姿を消してしまった彼ははて、どこで何をしているのだろうか。私の勘が確かならば、もうこの世にはいないことになるのだけれど。それでも唯、心の何処かでは裏切りと云う名の逃亡では?と問い質しては返ってこない回答を只管待つばかりです。




どんな事実が発覚しようとも、花束を供える覚悟はもう出来ている。消えていった虫歯菌達にも同じことを言える私にはやはり、適当、ことの重大さを理解することが難解だと首を傾げることでしょう。




まぶたの裏に夢を想像してみましょう。
きっとなんでもない昨日を、仕合わせな明日に変えてくれるでしょう。なんとも目出度い脳内、思考をしていること。




港の風は少しばかり人見知りと聞きました。