喜劇は曇天のある日から始まります。それは頗る煙たい某ファミリーレストランの窓際の席です、そうです島袋です。





夜行列車での旅に現を抜かしているから集中出来ないのだ。とはいえ、彼が何故に有無を言わせず私を友人待ちの客としたのかはさて置き、来月末に迫り来る選択(option)に未だ優柔不断して居るのであります。ただ、今やるべきは目の前の英文を容量の少ない我が脳みそへとねじ込むこと他に無いのです。




鞭撻は何とも響きませんでした。其れでは申し訳無いにも程がある。感情の無い人間が欲した其れが喩え憎しみや怨み、妬み、憎悪だとしても仕方のないことだと思います。それだけだとするのなら、人間は冷たくも最強、最も強く生きていけるのだろう。




暗くなって来ました外は帰宅途中の人々であり溢れているというのに。私は何処に何を如何する為に此処に居るのだろう。ノリと感情で動くとこうなるのか。しかし私は至極満足、愉しい日々を過ごしております。




気温と体温ばかりを奪っては流れていく雨は冬と冷たさをジリジリと連れて来ます。御連れ様に気を付けて!御天道様はそう易安と季節を動かしたりはしないはずだ。とんだ固定概念だこと。




うずうず。喜劇は悲劇にも成り得るのです。しかしエンディング(ending)は矢張り喜劇(comic)。ハッピーエンド(happyend)を手放しで喜ぶことです。素直であること則ち身を救う。さぁ皆々様、御手を拝借!





私には恐れしかないです。
(im afreid!)