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灰色

松最終回を日本が迎えている今宵ですが、眠れずにいます。
私が見られるのは配信最速の水曜日になるので、ネタバレ回避のためにも完全に潜る予定です。
学生時代はTwitterで毎日呟きたくて、1日必ず1つはツイートすることに拘っていたというか脅迫めいた気持ちですらいたんですが、最近ではそれも薄れてきて、大人になったなと強く感じます。

1年前くらいから、米津さんの音楽をよく聴くようになりました。
元々ニコ厨なので、羅刹ト骸の頃からポツポツ聴いてて好きだった方で、目まぐるしかった2012年はよくリンネを夜行のお供にしていた気がします。
なのですが、米津さん名義の活動は特に追うこともせず、カラオケでマトリョシカを歌い続けて大学時代を終えました。
ドーナツホールが投稿されたとき、久しぶりに氏の新曲に触れ、この人あたしを歌ってる!現象にびっくりしました。びっくりするくらいうまい具合に心を表現する詩に感銘を受けました。
その後MMDでMAD HEAD LOVEにも出会い、衝動的にYANKEEを購入したのが1年ほど前というわけです。

私は昔から、私の故郷は灰色の街だと思っていました。
コンクリートの港も雲に覆われた空もそれを反射する海も全部灰色で、でもその灰色の記憶が私の全てで、大切なもの全てをもらった場所でした。
だから、自分の中にある街を歌い、かつ、自分は灰色だと歌う米津さんの詩にどこまでも共感せずにはいられないのでした。
「街から子供が消えていく」絶望感とか。
そして同時に、その視点でこの世界を生きて進んでいくその歌に、希望も貰えるのです。

言葉は、身体があり、左脳があり、心がないと生まれませんが、同時に心を表現する大切な手段のひとつです。
私は言葉の、どう足掻いても心を伝え切らない脆弱性とか、誤って受け取られてしまうリスクとか、そういう面を見るたびに、言葉は弱いと思います。
しかし私の心もまた弱く、心を構成するあらゆる私の気持ちなんてものはふとした瞬間に消えてなくなっているのではないかと思わせるほどなのです。
だから私の心はいろんな言葉に支えられて、存在証明をし続けます。
米津さんの言葉はそんな、弱い私の心を支えてくれるもののひとつなのです。ありがとうございます。

心の中に最後に残る気持ちが、好きなものを、好きな人を、好きだと思う気持ちであればいいなと、そんな人生を送りたいと考えた今夜でした。
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