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予備校夏

ちょうど暑くなる頃だった。

周りから「くせぇ〜」「くさっ」「何このニオイ…」と言われるようになった。鼻をつままれたり、手であおがれたり、いたたまれないきもちになった。

自分がそこに居るせいで、皆が迷惑している。

死にたいと思った。

朝からこんなヤツがいて、テンション下がるわ〜とも言われた。全ては面と向かってではない。私の方を見ながらとかだ。私に対してハッキリと言われたわけではない。でも多分私の事なんだろうと感じた。被害妄想なのか、全ての悪口が私の事のように思えた。

その頃私は、寮に居たけれど、無理を言って朝シャンさせてもらったりした。一日二回以上風呂に入って少しでもニオイたくないと努力した。食べ物は蛋白質を含む物を避けた。私は肉が嫌いだ。ワキガの原因は欧米食だと聞いたからかもしれない。いつからか肉が嫌いになっていた。

休み時間には下着をこまめに取り替えた。汗をかいたらこまめに汗拭きシートで拭き取ってもいた。制汗剤やクリームも試した。どれも効かなかった。どんなに努力をしたところで、相変わらずクサイと言われる。自分にはどうしようもなかった。死にたかった。もう、どうしようもなく、人間が憎くなった。精神もイカレタ。自分がどんだけ努力をし、気を使っていても、傷付く事を言ってくる神経を疑った。誰にも辛さをわかってもらえやしなかった。

その頃、一緒に弁当を食べようと言ってくれた子にも仲間外れされるようになった。この世で自分がただ一人な気がした。人間がすっかり信用できなくなった。憎んだ。

通信制から予備校

この頃にはもうすっかり対人恐怖になっていました。友達の作り方もわからなくなっていました。

今までいた不登校になる前までの幼馴染みとも全く音沙汰なしになっていました。けれど、やっぱり寂しくて友達が欲しかった。通信に行ったら、友達を作ろうと思った。

友達の作り方がわからなくなっていた私がした行動は、友達になりたいと思った相手に、単刀直入に「私と友達になってくれませんか?」と言ったのだ。きっとおかしな人と思われたのだろう、その人と二度と会う事はなかった。

なんだか悲しくて、やっぱり私には友達なんかできやしないんだと思い、それから一人で過ごした。勉強は問題なかった。通信学校のスクーリング以外、私はずっと家にこもっていた。

なんとか無事通信制高校を卒業した。進路が決まらず、親に進められ大学受験をする。しかし、制服の集団が恐く、耐えられずに引き返して受験せずに終わった。

それから予備校をすすめられた。そこは寮制だった。初めて親元を離れ予備校に通うようになった。友達は出来なかった。それから、この時が私のワキガにとってピークだった。毎日学校に通い、嫌でも多くの大人と子どもの中間の同年代の人と接する。

高校から


高校では心機一転毎日学校へ行き、学生生活を送っていました。勉強は問題なく、特新クラスに選ばれる位でした(元々レベルの低い高校)。が、何故か体育の授業だけ休むようになりました。

水泳(カナヅチ)が嫌だったように思います。しかし、水泳だけではありませんでした。体育自体が嫌いだったのです。何故なら、ペアを組む相手が心配だったのです。

それに、ウォーミングアップ時に掛け声をするのですが、自分の番の時だけ、クスクスと笑われたのです。自分の声や格好がおかしいのかとかいろいろ気になりました。人に笑われるのは恐かった。

それから体育の授業には行けなくなりまたもや不登校になりました。

学校のスクールカウンセリングで箱庭療法なども受けたりしました。

それから、単位が足りなくなり、進級が危ぶまれました。留年などしたくなかったので、学校をやめようかと考えました。しかし、親は高校だけは出ておきなさいと言い、通信制へ行く事になりました。

始まり

私が初めてワキガと向き合う事になったきっかけは、母に知らされてからの事でした。
私が確か中学1,2年位の時だったでしょうか、私はそれまでワキガを特に意識した事はありませんでした。

ある日、母親に、「制服や下着の脇の部分が黄ばんでいる。もしかしてワキガではないか?父さんがそうだし…」と言われたのがキッカケです。それから地獄でした。

途端に脇を気にするようになりました。脇を異常に意識してしまい、脇をピッタリ閉じるようになりました。それを幻聴か幻覚かわかりませんが、同級生の男子に面白がられ、ジェスチャー付きで、なんかあいつこんな風に脇をピッタリ閉じてるよね〜と言われました。
それから、その男子だけでなく周りの皆が私の脇の事や、ワキガについて言っているような気がするようになりました。

その頃友達も信用できなくなり、自信が無くなり、友達ともあまり上手く行ってませんでした。それからしばらくして、学校を休み始め不登校になりました。
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