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「挑め」

私が中学卒業のときに部活顧問から貰った色紙の言葉。周りの子がなんて言葉貰ったか忘れちゃったけど、一人は「狙え」だったかな。

もう中学卒業してから何年も経つなんてレベルじゃなくて、10年以上経つのに忘れられない。まあ捨ててなくて、飾りはしないけど大事に取っといてあるから忘れられないんだけど。

私の事よく見てたな、って今になって思う。
「挑め」だって。

たしかに、私の人生のなかで挑戦することって圧倒的になかった気がする。

最初からある程度できるから、困難を努力で乗り越えたことがなくて、やってみたいことっていうのがないから不得意分野に挑戦するってこともない。

できることだけやってきた。
ちょっと努力が必要なことは、向いてないって思って手すら付けずに逃げてきた。


井の中の蛙っていうか、なんていうか。
ステージ1をひたすらやっているような、

失敗をした経験がないから失敗したという事実が怖くて、挑戦しなければ失敗しないから安牌を選び続けたというか。

まあ今はニートだから人生でいえば最悪の失敗時期なんだけど。嘘。ずっと失敗続きか。

誰かに、失敗したと思われるのが嫌だった。
受験に失敗したとか、試合で負けたとか。

だから、ぬるま湯にずっと浸かっている。

なんだか、そんな感じ。


がんばって達成する目標を作ったことがない。

目標が求められた時は8割の力で達成できることを目標にしてきた。なんていうと、俺はまだ本気を出していないだけっぽくて恥ずかしいけど。手が届かないことを目標にしたことがない。


プライドだけは大きくなっちゃって、馬鹿だなあとは思う。

頑張らない理由ばかり探して、ほんとどうしようもない。死にたい、は頑張らないの免罪符にはならないのに

願望を阻止したら、

まだあれから何も変わってません。
変わったことと言えば、一つあるけど言わないと分からないし言ってもそのくらいなんてことないって笑われる程度のことなんだけど。

私は未だにニートのままだし、早く死んでしまいたいと日々思いながら、願いながら、美味しいものだけを食べて生きてる。もう美味しくないものは食べれない。


思うことがあるから書いておく。

数日前の、自殺を計った人と、それをとめた高校生の話。色々頭から離れなくて、Twitterとかよそでそれについてのコメント見て色々思ったこと。

計画するの意味のはかった、ってこの漢字でいいのかな。よそでの投稿ではいちいち調べるけど面倒臭いからこのまま。


とめてよかったのか、悪かったのかなんて、その人のこれからの人生によるよなあって思うし、本人にしか分からないよね。


このまま辛い思いして生きていくのか、そんな若い人しかもカップルに何が分かるのか、余計みじめだ。

誰かが向き合ってくれるのを待っていたんじゃないか。本当は止められたかったんじゃないか。

目の前で死なれちゃ後味悪いからそりゃとめるだろ。


色々あるけど、本人に届くなら、生きてて良かったって言うし、本心からそう思っちゃってるな。私は死にたいのに。でもきっと、みんな言われたいんじゃないかな。生きててよかった。生まれてきてくれてありがとう、なんて。


一回死んだつもりで頑張れ、なんて言葉あるけど一番嫌いな言葉かもしれない。嫌な記憶、忘れたいこと全部おぼえたままで、人生再スタートなんて最悪すぎない?

色々書きたいことあったけど、なんだったっけな。

その人にはその人だけの感情があるんだから、他人がどうこう言っていいものじゃないってことだったかな。

もし私の知り合いが本気で死にたいと言ったら、私はきっと、美味しいもの食べて、温かい風呂に入って、ゆっくり寝て、それでもまだ死にたいと思うなら貯金全部使い果たしてからにしろって言うだろうなあ。

私はその貯金全部使い果たしている最中で、その貯金ももうほとんど残ってないんだけど。これなくなったらどうしようか

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