2011-7-29 04:54
自分に自分という1本の軸があったとする。
これが自分の軸なんだっていう確信があって、自分でその軸の色も形も大きさも知ってるとしても、
軸が1本では、やっぱり不安定です。
せめてもう1本、軸があれば、
たとえ2本の軸しかなくても点と点の間には線という無限の点が生まれる。
別に中点である必要はないよ。
だってその軸は、その人のその時々の立場で、色も形も大きさも変わるから。
そして、ひとつだけ、軸の中にある芯だけは、変わらないよ。
ちょっと隠れて見えにくいけど、お互いがお互いの芯の存在に気づけば、
どこの点を取ることになっても、きっと軸は倒れません。
ほら、またひとつ、新しい考えがうまれました。
2011-7-20 23:19
前のブログは、ずいぶんと要所を省いた表現でした。
なにせここでは思いつきを書くこともザラですから、まぁ自分としてはアリなんですけど。
生きる場所を探すことは、死に場所を探すことです。
どういう風に生きたいかを考えることは、どういう風に死にたいかの答えに繋がってます。
だから、この場所では死にたくないなと思う場所では、本当は生きるべきではないのです。
ただそれだけの話。
それを探すのが、ある意味人生そのものであるとも、僕は思います。
だって、生き方は、単に場所だけの問題ではないでしょ??
広く考えれば、の話です。
結局は、
自分の納得のいく人生を生きるまでは、誰だって死にたくないはずなんです。
ああ、簡潔にものを言い過ぎるのもつまらないですね。
でも、なんか話がズレますけど、
…いや、言いたいことあったけど、やっぱり話がズレるのは嫌なんでやめときます。
あとはまぁ、察してください。
2011-7-19 20:48
名古屋では、死にたくないです。
なんとなく、そんなことを思った。
どうせ死ぬなら、今はやっぱり、福島がいいです。
そんなことを考えていました。
それはつまり、きっと、福島で生きたいと思ってるってこと。
そうか、
死にたくないということは、生きたくないと同義なのか。
なるほど。
2011-7-11 23:36
これは、少し前に、少しだけ考えたことです。
まだ、自分の中ではきちんと消化できていません。
でも、ある人が見れば、こんなこと当たり前のようにも映ると思うのです。
「前向き」と「諦め」
この2つは、対極にあるようで、実は連動している気がします。
まるでクラリネットのF♯/C♯キィとLow F/Cキィのように。
…つまり、
前向きになれたから、諦められる。
諦めたら、前向きになれた。
こんな感じです。
文章にした方が、なんとなくしっくりくるでしょ??
でもこれは、前向きになることも、諦めることも、どっちも、どちらかというとネガティブな方の意味でとらえた結果です。
「前向き」がネガティブなんて、変でしょ?
僕もそう思います。
この前、僕のことをネガティブと言った人がいました。
僕は今まで、自分がネガティブだなんて、思ってもみませんでした。
一見するとポジティブのように思える想いも、実はネガティブだったりする。
そんなことに、今更気づかされました。
んで、なにが言いたいかって、
「諦める」ことが、ポジティブにもなるってこと。
はい、これで、いつもそう、振り出しに戻る。