「みきこはたまに、こどもに戻るよね」
ひとしの家で、パスタにからめるトマトソースを作っているときに、そう言われた。
どうしてそう思うのかな、と思っていたら、ひとしはあたしの近くにきて、口の周りに付いていたトマトソースを拭いてくれた。
恐らく味見をしたときに、付いてしまったのだろう。
「他にもね、みきこの耳がねこみたいにぴーんとなる瞬間があるよ」
嬉しいときとかね、とひとしは笑った。
「ぼくはだんだんみきこマスターになってきたよねぇ」
なんだか嬉しそうに、ひとしは言った。
トマトソースを混ぜながら、あたしはひとしをまだマスターできていないな、と思った。
ひとしには、あたしには触れられない部分がある。
ひとしがあたしに本音を話すときは、いつだって何かしらの前置きをする。
ぼくは今酔っているからとか、インフルエンザで弱っているからとか、様々な理由をつける。
ひとしの深層まで入りたい、と思うこともある。
でも、あたしがそれをしないのは、たまにひとしのどうしようもない弱さに触れることがあるからだ。
ひとしをのことを知るためには、こちらの手持ちのカードを全てひとしに見せて、安心させることが一番有効だと思う。
あたしはあたしを隠さない。
だから、あなたも。
「トマトソースの腕を上げましたね」
「やっとひとしと同じくらいのクオリティのものが作れるようになったよ」
「ぼくよりみじん切り荒いけどね」
「厳しいなぁ」
それでもひとしは、あっというまに平らげてくれた。
まだ食べているのに、あたしの喉元を撫でて、ねこ、ねこ、と呼ぶ。
あたしは食べ終わると、ひとしの膝にころんと寝転がった。
「こどもになったりねこになったり、みきこは忙しいなぁ」
「一応あたしもおとなのおんななんですがね」
「からだはね」
でも如何せん中身がなー、と笑うひとしから、あたしは拗ねたふりをして離れた。
「まぁ、こどもの部分をずっと残しておく方が、おとなになるよりずっと難しいんですよ」
あたしの背後で、ふう、とひとしはため息をついた。
あ、いま、きっとひとしの本音が混じってた。
あたしは直感でそう思った。
普段仲間たちといるときに、ひとしはいつも若いだとか幼いだとか言われている。
それはこの考え方に起因するものなのだな、と思った。
なんだ、ひとしもちょっとずつ、ほんとうの自分を見せてくれてるじゃないか。
あたしはひとしに抱き着いた。
ひとしはびっくりしていたけれど、やっぱりみきこはこどもだなぁ、と抱き返してくれた。
「ちなみに、体温が高いのもこどもの特徴ですよ」
あたしは昔から平熱が高めで、36.5℃はある。
ひとしは、あったかいなー、と言っていそいそとあたしの服を脱がしはじめた。
「まぁ、あなたはおとなのおんなですからね」
首筋にキスをしながらひとしが言う。
「こどもにはこんなことできないし」
「…ばーか」
「えー」
「…でも好き」
「知ってる」
ひとしはふふふ、と笑うと、ベッドで待ってて、と言って食器を片付けだした。
あたしは布団に入り込んで、ぼんやりと天井を見つめながら、ひとしの言葉を反芻した。
こどもでいることの難しさ、か。
ひとしは、もうとうにおとななのだろうとあたしは思う。
だからあたしを可愛がるのかもしれない。
なんだか、それって。
「かなしいな」
キッチンの水音は、そんなあたしの呟きを、あっというまに掻き消した。
Mikiko