体感時間のロジックは結構有名な話ですが、ならば、同じ人間同士でも体感時間が変わってしまうのはどう言った理屈なのかな、とついつい思ってしまいますおうぎです
集中力の有無と言う話は聞いたことがありますが、他にも理由があるのなら、気になるところです
私は不器用なので、どうにも別の作業を同時進行させることが出来ず、平行的に幾つもの事ができる人が羨ましくて仕方ないのです
私は本を読みながらテレビを見ることが出来なければ、音楽を聴きながら勉強することも出来ません
しかし敢えてそれらを同時進行させるのは、兎に角どちらかを行いたいから、なんて、少々投げ遣りな理由からであったりします
詰まり、本も読みたいけどテレビも見たいから取り敢えず両方してみてどちらかが疎かになったら止めて一方に集中しよう、と言う考えの基、先ず同時進行してみて結果どちらに傾いてもいいや、みたいな考え方をしているのです
我ながらほとほと適当です
で、まぁ別に私の不器用スタイルはだからどうと言う事もなく、何が言いたいかと言いますと
同時進行させながら幾つもの事が楽しめたらその分多くの楽しみを味わえて正に一石二鳥なのになぁ、と、溜まったアニメを観ることなくHDDから削除しつつ氷菓を観ながら思った次第であります(;´Д`)
一つ一つに時間をとられていたらそれだけで追われるのに、更に一度観た物を繰り返し観ていては到底限られた時間では足りるはずもないです!
でも、一つ一つを大切にする、って意味では、悪くないことなのかも知れませんね