全体主義者というのは、なぜか言葉を簡略化しようとしますよね。曖昧模糊としたもの、それぞれの土地で自生的に出来上がってきたようなものを許せないんでしょうね。非合理なものをたくさん含んでいると見るんでしょう。だから、言語をシンプルなものにしていこうというわけです。中国が簡体字を作ったのも一例でしょうね。
英語教育重視や、企業などの英語公用語化の流れも、曖昧さを許容したがらない精神からきているところがあるかもしれません。楽天の三木谷さんの英語公用語化の論拠の一つは、英語で話した方が曖昧さが入ってこず、ビジネスがシンプルに進むからだということですし。
日本語の曖昧さが良くないという意見をわりと聞きますが、曖昧なことを表現できるのが複雑な言語であり、そこに文学や芸術、学問の成立する余地があるんですけどね。
新自由主義は、結局、曖昧なもの、土着の文化的なもの、それぞれの土地で自生的に出来上がってきたもの―各地域独自の規制や取り決め、中間的共同体もそうですが―を排除し、なるべくシンプルで普遍的な原理やルールだけで世界を統治しようとするんです。人々の多様で複雑な個別的利害を整理しなければならない民主的な政治的過程もどんどん削っていきます。この流れは、結局、地球規模の管理国家体制、つまりグローバルな全体主義体制につながってしまうのではないかと危惧します。


ですってよ三木谷さんw