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石川県の奥能登地域の伝統祭礼「キリコ祭り」の中でも、とりわけ豪快なことで知られる「あばれ祭(まつり)」の灯を消すまいと、能登半島地震で被災した能登町の人々が28日、7月の開催に向けクラウドファンディングで資金を募り始めた。350年以上の歴史を持つという祭りは、奥能登の人々にとって「ふるさと」そのものだという。
チョーサチョーサ
キリコ祭りは江戸時代から続き、現在も輪島市や能登町など能登半島の6市町約200地区で毎年夏から秋に催される。「キリコ」と呼ばれる巨大な奉燈やみこしが乱舞し、お囃子に乗って威勢のいいかけ声が町々に響き渡る。
「チョーサ、チョーサ、チョーサ、チョーサ」
7月初め、その先陣を切って2日間にわたって繰り広げられる能登町宇出津(うしつ)地区のあばれ祭は、その名の通り、とにかくあばれる。
みこしを燃え盛る炎に投げ込み、火あぶりにする。
燃えたままのみこしをかついで、炎の周囲を回る。
アスファルトの道路にたたきつけ、路上に転がす。
川にかかる橋から落とし、川の中でひっくり返す。
なぜ、あばれるのか。神社の祭神は荒ぶる神として知られるスサノオノミコトの化身とされ、みこしに乗った神様を喜ばせ、慰めるにはあばれるほかないと信じられているためだ。
「あばれ祭は、あばれなきゃだめなんです。あばれないと、神様が喜ばない。あばれてあばれて、神様に喜んでいただく」
キリコ小屋に保管された「あばれ祭」の子供みこしと寺下幸弘さん=石川県能登町町の中心部、新村本町の町内会長で元小学教諭の寺下幸弘さん(68)が説明する。寺下さんの首の後ろには、子ラクダのような大きなこぶがあった。
「キリコの山車をかつぐと腫れ上がる。たぶん首の骨を守るために脂肪が固まるのだと思います」
「祭り仕様」の町
能登町ふるさと振興課によると、町内には193の集落があり、年間270以上の祭りが行われている。1・3日に1回は、人口約1万5千人の町のどこかで祭りが行われている計算だ。
町の中心部には、たいまつを立てるための穴が5カ所開けられ、電柱から家々に引き込まれる電線はキリコの通行を妨げないよう、キリコの高さである7メートルより上を通している。
「あばれ祭」の巨大な奉燈「キリコ」の山車が宇出津の町を練り歩く=昨年7月、石川県能登町そんな町を元日、能登半島地震が襲った。町内で8人が犠牲となり、住宅被害は6280棟に及んだ。キリコ小屋2棟の屋根も吹き飛び、町内にある約40基のうち10基ほどが雨にさらされている状況が確認された。
キリコの材料を作っていた町内唯一の製材所も被災し、みこしを作る工務店は津波をかぶった。みこしは毎年破壊されるため、毎年修繕する必要がある。祭りは7月初めの開催。4月ごろから準備しないと間に合わないと今回、製材所と工務店の再建費を募ることになった。
東京からやってきた支援者らの協力で28日、クラウドファンディングサイト「マクアケ」で募集が始まった。目標金額は778万円という。
「田の神様」を送り出す
奥能登にはキリコ祭りだけでなく、さまざまな祭事が今に受け継がれている。
地震から1カ月余りの2月9日には、奥能登の農家に古くから伝わり、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている農耕儀礼「あえのこと」が行われた。
「田の神様」に1年の収穫を感謝し、五穀豊穣を祈る儀礼で、毎年12月5日に田んぼから神様を家に迎え入れ、冬の間休んでもらい、翌年2月9日に送り出す。
地震のためやむなく延期した農家があった一方で、いくつかの地域では人々の強い思いから、例年のように営まれた。
能登町のあばれ祭も、みこしをたたきつけていた道路は傷つき、担ぎ手である若い世代には地元を離れざるを得ない人もいる。
それでも、奥能登の人々は今年も祭りを続ける。
「金沢や東京へ出ていった者も、祭りには必ず帰ってくる。祭りはふるさとそのものだから」
13年前、東京電力福島第1原発事故後も福島市で暮らし続けた詩人、和合亮一さんは《福島で生きる 福島を生きる》とうたった。
奥能登の人々も、奥能登で生きている。奥能登を生きている。