前作「春過ぎて」「夏の夜は」の続編。一期一振×三日月宗近で、パロディです。
審神者はじめ、オリキャラがいます。苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。
大丈夫な方は追記よりご覧ください。
そして、まだ続きます。
6.空蝉
一期一振が、突如、当主に呼び出されたのは、宴の宵から六日ほど経った朝のことだった。日頃は、夏の朝の暑苦しさに負けて、朝餉もろくにとらぬことも多い当主が、炉の火の番の見回りが済んだばかりの刻限にお召しとは、珍しいこともあるものだと首を傾げながら、北の対の釣り殿へと赴いた。左文字の離れの手前にあるここは、この館でもっとも涼をとれる場所で、暑さに弱い当主のお気に入りだった。
「お呼びにより、一期一振、参上いたしました。中将殿。」
「やあ、来たね。」と、顔を上げた中将は珍しく、和装姿で。着流しに単衣を羽織り、欄干を脇息代わりに身をもたせ掛けていた。
「義母上にはなんと?」
主である審神者には内々に、との言伝だった。すかさず、一期は「弟たちを起こしにいくとだけ。」と応えた。実際、普段はこの時間には弟たちの朝餉の世話で忙しくしているから、不自然ないいわけではない。
「そう。どうしても君に頼みたいことがあってね。無理を言った。」
「いいえ、めっそうもございません。して、御用とは何でございましょうかな。」
「三日月宗近を、この目で見たい。」
「は?」
静かな、けれどきっぱりとした「命令」に、一期は耳を疑った。
「聞こえなかったの?もう一度だけ言う。三日月宗近をこれへ。天下に最も美しいという彼を、一目見てみたい。」
どういう風の吹き回しなのか。義母・審神者へのあてつけで、鍛冶や刀剣に関することには極力関わりを持たぬようにふるまってこられたお方がなぜに今更、と訝しく思って、問いを返す。
「おそれながら、その儀、主殿には__」
「義母上にお許し願わなければならない筋のことでもないでしょう。鍛冶場に立ち入るわけでなし。」
「しかし__」
「それとも、やはり貴方も、審神者の血をひかぬ私にはその資格はないと?」
間髪入れずに答えた声に鋭い棘が混じる。常日頃から、なさぬ仲の義理の母に仕える刀剣たちには嫌味が多いこの人だが、今日はいつにもまして、口調が辛い。それだけではない。向ける視線にもいつにない鋭さと、陰りが混じっている。何やら嫌な予感がして、一期一振りは顔を上げて、当主へ向き直った。
「恐れながら、三日月宗近殿は私とは比べ物にならぬほど、類稀な刀。やはり一言、主殿におことわり在るべきと存じます。」
明確な拒絶に、中将は柳眉を逆立てたが、一期が引かぬとみて、「それでは、私から義母上に申しあげよう。」と不機嫌に言い捨てるなり、召し替えをと命じて立ち上がった。だが、血が廻りきらなかったらしく、その体はぐらりと傾いだ。慌てて一期は腕を伸ばして、細身を支えた。
その瞬間、ふわり、と微かに鼻先に香った匂いに、一期は思わず身を強張らせた。鼻腔をくすぐる甘やかなその芳香は覚えがあった。
(薫衣香。これは、三日月殿の…)
それがなぜこの人から、と訝しむ思いよりも、胸の締め付けられるような郷愁の念を強く感じた。自分はかつて、この香に溺れ、包まれたことさえあるような。されど、確かなことは何も思い出せない。とても、とても大切で、幸せだった気がするのに。
「放せ、大事ない。」
突然、邪険に突き放されて、正気に返った。
「申し訳ありません。」とあわてて詫びながらも、一期一振は、目の前の若い当主の変貌に疑念を払えずにいた。
何故唐突に、三日月宗近に興味を示すのか。その香りは、彼の君の移り香なのではないか。澄んだ水底に横たわる澱のような思いを抱えたまま、中将に付き従い、一期は主のもとへと向かった。母屋の廊から、それを見つめる蒼い月の双眸に気付かぬままに。
一期同様、訝しみながらも、審神者は己の立会いの下、ついに三日月との対面を許した。三日月もまた、普段通りの鷹揚さで、二言三言交わしただけで、事は済んだ。そのはずだった。
けれど、その宵に、御寝のあいさつにと部屋を訪ねた一期が見たのは、褥の上に薄絹だけが残された、空蝉のごとき空の寝床だった。
「三日月、殿。」
どちらへいかれたのか。手に取った薄絹からは、今朝方、中将の単衣から香った、あの薫衣の匂いがした。
続.
2015-12-30 00:38