2023/3/25 Sat 01:24
すでに18歳だった田原俊彦が、なぜ中学校が舞台のドラマ「金八先生」にキャスティングされたのか?…の巻









話題:芸能ニュース







主に、映画・テレビなどで「子供の役」を演じる俳優を指す「子役」。

一言で「子役」といっても、美空ひばりさんら「映画」を舞台に活躍した俳優がいれば、「バラエティ番組」で人気を博した内山信二さん、「テレビドラマ」で存在感を高めた安達祐実さんなど、時代や視聴者のニーズに伴い、多くの違いが存在します。

一方「子役にはしばしば大人の俳優へと上手く脱皮することの難しさ、それゆえの挫折があった」と話すのが、社会学者の太田省一さんです。

太田さんいわく、今は高い人気を誇るジャニーズ事務所も苦境に立たされた時代があり、それを救ったのが子役時代の「たのきんトリオ」、ひいては『金八先生』だったとのことで――。



■リアリズムと娯楽性を盛り込んでいた『金八先生』

中学を舞台にした学園ドラマの土壌は、1970年代までにすでに整えられていた。

『金八先生』は、中学生のリアルな悩みや問題に寄り添うという点では、『中学生日記』に近い。

ただ、民放のゴールデンタイムのドラマということもあって、リアリズムを基盤にしながらも随所に大衆受けする娯楽性を盛り込んでもいた。

たとえば、金八先生のクラスの生徒たちが、金八先生役の武田鉄矢が属する海援隊のコンサートに行って、金八と武田鉄矢が“対面”するといった場面(第1シリーズ11話)などは、そうだろう。

いうまでもなく、海援隊は、第1シリーズの主題歌「贈る言葉」(1979年発売)を歌って大ヒットさせていた。



■さまざまなキャラクターの生徒たち

生徒役のキャスティングにおいても、『金八先生』は『中学生日記』ほど厳密ではなかった。

たとえば、第1シリーズで沢村正治役を演じた田原俊彦は1961年2月生まれで、放送開始時すでに18歳だった。

とはいえ、「3年B組」の生徒たちが、同年代の視聴者に強い親近感を抱かせる存在だったことには変わりない。

学校のクラスという舞台設定は、さまざまなキャラクターを登場させられるというメリットもあった。

クラスの委員長をやる優等生、勉強の虫、教室の後ろのほうの席の不良、クラスのマドンナ的存在、部活のスポーツに打ち込む生徒、笑いの中心にいるひょうきん者。

なかには、いつもおとなしく普段は目立たない生徒もいる。



■リアリズムを追求する『金八先生』

それまでの学園ドラマであれば、フィーチャーされるのは優等生役や不良生徒役といった特定の目立つ生徒に限られ、ほかはその他大勢的な扱いだった。

しかし、リアリズムを追求する『金八先生』は違っていた。

生徒のタイプが違えば、当然抱える悩みも違ってくる。

『金八先生』では、毎回違う生徒が主役になった。

したがって、同年代の視聴者にとって、それが憧れであれ共感であれ、はたまた疑似恋愛の対象であれ、なんらかのかたちで感情移入できる生徒を見つけやすくなっていた。

そうしたなかから、アイドル的人気を博す生徒も生まれてくる。



■『金八先生』がもたらした生徒役のアイドル化

第1シリーズから、同じジャニーズ事務所所属である田原俊彦、野村義男、近藤真彦の3人が「たのきんトリオ」として爆発的な人気を博したことは有名だろう。

野村と近藤は同じ1964年生まれで、実際に中学3年生だった。

役柄に応じて、影のある不良の田原、優しい柔和な雰囲気の野村、悪ガキで憎めない近藤といったキャラクターの棲み分けもきちんとされていて、ファン層も重ならなかった。

それは、いま述べたリアルなクラスという『金八先生』のコンセプトから自ずと生まれたものだった。

ジャニーズ事務所は、1970年代前半にはフォーリーブス、そして郷ひろみの活躍で上り調子にあったが、1970年代後半にはその勢いも衰え、苦境に立たされていた。

それを救ったのが「たのきんトリオ」であり、ひいては『金八先生』だったことになる。

その後も子役というわけではないが、ひかる一平(第2シリーズ)などジャニーズタレントが、『金八先生』の生徒役をきっかけにアイドル歌手としてデビューする流れが定番化した。

(婦人公論発)











暮れなずんでろ、田原俊彦!

贈る言葉は、遺言だと思え!

武田鉄矢は魔物である!(# ゜Д゜)



ブー(^0_0^)



(^^)/(^^)/












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